琥    珀





 4. ボルドー再び 1873年 : 琥珀の瞳



  私達の一族の歴史は古い。私達が姿を現すのは一握りの為政者の前だけであり、彼らの指針にわずかなヒントを指し示すとともに、彼らの運命を読み取って、それによって近づいたり離れたりすることにより自分達の身の安全を図っていた。私達と彼ら為政者の間には奇妙な均衡がいつも保たれ、それによって私達は身の安全と生活、そして私達一族の存在を秘する道を得ていたと言えよう。
 彼らは私達一族の事を『占い師』『夢占』『予知者』と呼んでいた。『夢の一族』と呼ばれた事もある。その呼称はあながち間違っていないと私は思う。私達一族は常に夢と気配とで未来を感じ取るように定められている。
だがそもそも夢とは何物なのか――。予知と夢と祈りとは、糸のように繊細な絆で薄く結ばれている。我々一族の者はその複雑な糸を辿り、未来を垣間見ることによって予知者としての力を得ていた。その力がどこから来ているのか・・・。一族の誰もその事を口にしようとしない。だから私は余計に自分の運命がこのゴルトシュミットに深く結びついている事を見ようとしなかったのかもしれない。
 あの頃の私はあまりに若く、身を捨てて事にあたるということが、どういう事かわかっていなかった。生命の悲しみが天とこの世の間を貫き、未来という闇を映し出すのをただ奇妙な興味を持って見ているだけだった。私にとって人生とは外側から見るものであって、私自身がその中の登場人物の一人として自分の役割を演じることがあるとは全く考えてもいなかった。私にとってはすべてがある意味他人事であり、自分をそこに押し出す勇気を持たず、その事に気づくこうとすらしなかったのである。
私は後にその事を幾度後悔したかわからない。そうすれば私を最初にボルドーに派遣した一族の長が感じたように、これから起こる惨劇は避けられたのかもしれない。それは私の一族の役割であり義務でもあったはずだったから。



 私が長の任を辞する直前にジョエルに会わなくてはと思ったのは、自分の力の衰えを如実に感じ取っていたからだった。その時になって私はようやく直接ボルドーのジョエルの館――『動物園』を四十年ぶりに訪れる事を決意した。最初にここを訪れた時、私はようやく五つになったばかりだった。それ以降は主にパリの社交の場でジョエルに逢うだけに止まり、二十年前からは長の要職にあったが故に、ほとんどジョエルに逢ってもいない。
 しかし記憶にある館の扉を潜り抜けジョエルに対面した時、私の感覚能力はこの館――いや『動物園』で行われたすべてに向かって開かれ、何が起こったのか起こっているのかが私の前に明らかになった。歳月が滑り落ちてきたようだった。ジョエルが私に言わなかったこと。隠していた事が私を打ちのめした。彼女達に行われていたこと。確かに私の言葉通り、ジョエルはサヤを我が子同様に大切にした。しかしもう一人の彼女には・・・。おぞましい人体実験同様の生物観察。本来健やかに人の間に共存しているはずだった彼女達の種族が――。もっと早くに気が付けばよかった。あるいはこのボルドーにもっと早く私が直接来ていれば・・・。
 気が付いた時にはすべてがもう後戻りできない状況になっていた。謀られたことを怒っているのではない。謀られた自分自身に憤りを感じてはいても。ただ後の大きな災いの気配が私には感じられる。――凡そ彼女達種族の女王はお互いに血を一つに擂り合わせる事を常としたと伝えられていた。よほどの例外以外は女王同士は闘い合ってその血を次に繋ぐという。彼女達の道がここまで分かたれてしまったのなら、恐らく二人の未来は一つの結果に帰結されるだろう。多くの者が巻き込まれる予感がする。血と死の匂いが私には感じられ、その足音が近づいてくるようにも思われる。私は自分の迂闊さを呪った。私が最初にここへ遣わされた時、その事の意味を少しでも考えていたら。私には私に与えられていた本当の命題をついに理解する事が出来なかった。いや、多分知っていたにも拘らず無意識にそれに対応するのを逃げていたのだと思う。彼女達の存在は私達一族の特性を非常に揺さぶる存在だった。私達の能力の向こう側に何があるのか。私達には知らされていないその何かを彼女達は刺激する。だからこそ一番影響が少ないと判断された幼い私が選ばれて、あの時一族から彼女達の元へ送り出された。私達はできるだけ、彼女達種族の秘密を他には知られないようにと考えおり、私がジョエル・ゴルトシュミットの処へ遣わされたのは私の一族にとってもギリギリの選択だった。できるだけ最小の知識だけを与えて、必要な情報を手に入れる。しかしゴルトシュミットの当主はやはり老獪で、私は彼の上辺の情報しか読み取れず、一方で彼はあの時点で私からかなりの情報を得てしまったのではないかと考える。
 そしてまた私は最初にゴルトシュミットに送られた時、あまりにも幼すぎた。私を守るだろうと思われた私のその未熟さは私自身を守ることをせず、逆にそのため彼女達の影響に直接揺さぶられる事になった。私はその影響力に砕け、ゴルトシュミットを離れる事を余儀なくされた。
 自分の力不足が私は悲しかった。



「大丈夫ですか?」
 私がよろめいたのを見てジョエルは気遣わしげに声をかけてきた。最後に逢った時に比べ、彼はまだ壮年期の力強さを名残を留めてはいるものの、髪はほとんど白くなり枯れたように痩せていた。だが一方でジョエルの瞳には未だ彼女達に対する執着が埋火のように燃えている。あれから既に二十年が経っていた。
「なぜ・・・」言いかけて私は口を噤んだ。今更何を言い得ようか。ジョエル同様私も歳を取った。代わりに私は窓から遠くに見える廃墟を見上げた。
「あの塔なのですね。もう一人の彼女が居るのは」
 今感じられるのは彼女が既にもう一人とは全く別物になってしまった事だけ。あの塔の中から放たれている意識には世界との結びつきが希薄にしか感じられない。世界は彼女を愛さず、また彼女も世界を愛することを知らない。そういう者達が辿る運命を私達一族は知っているではないか。彼女は世界を平伏させる能力を持っているが、彼女は決して満たされない。そしてその満たされない心のままに、その強大な力を振るう。幾重もの悲劇が起こり得る。そんな可能性を感じながら、すでに私は予見の力をほとんど失っていた。
 それでもこの私に出来ることをなさねばならない。未来は決して決まっているわけではなく、回避の可能性も皆無ではない。
「ジョエル。あの塔にいる彼女は一度も外には出ていないのですね」
「そうです・・・。翼手が本来どうあるべきなのか、人間の影響を受けない彼女達の生態はどういうものなのか。私にはまだまだ知らなければならない事が数多く残っているのです」
「誰にも触れず、外界との接触を全て断って?」
「あそこにいるものは、あの塔の部屋以外を知りません。あなたもいつかおっしゃいましたね、彼女達をこの動物園から外に出さないようにと」
「しかし愛情を与えて大切にしてくださいとも言いました。愛も、知識も、夢も何もかもから隔離して・・・。そんなことが本当に出来るのでしょうか?本当は彼女にもサヤと同じように与えられる権利があった。彼女にも愛する権利、愛される権利があったとはお考えにならないのですか」
「あれらは私のものであると同時に人類の未来の扉を開ける可能性を秘めているのです。そんな感情など――」
「誰かが誰のものなんて・・・。彼女達にも心はあるのですよ」
「――大切にしてますよ。もちろんサヤのようにとはいかないが。おかしなものですね、あなたは彼らを人類と同じように見ている」
「あなたは違うのですか?あなたのサヤは?あなたは彼女を自分の娘のように大事にしているとおっしゃった。彼女は人間と同じだとは思わないのですか?あなたは彼女をどう見ているのですか」
 長い沈黙の後、ジョエルはついに答えなかった。だが彼の偏狭だった瞳がわずかに揺らめいていたのを私は確かに見たように思う。それともそれは私の願望なのだろうか。
「サヤにお会いになっては行かれないのですか」
 唐突にジョエルが尋ね、その問いかけに私は首を振った。彼女の姿を遠くから見ている。それだけで十分。
「今更彼女に逢って何になるでしょうか。彼女は私の存在など知らないほうがいいでしょうし、私もすでに彼女に逢う時期を逸してしまいました。ただ・・・彼女達が夢の中に篭るようにこの動物園で静かに時を過ごしていくことだけを願っています」
 そしてジョエルがその夢を守ってくれることを。今ではその微妙な希望にすがるしかない。ジョエルは自分がどんなことをしているのか全くわかっていないのだということを、私は胸に深く巣食う重いものとともに感じ取っていた。
人間の心情は変わっていく。例えジョエルが彼女達をこの動物園に安全に囲っていたからといっても、ジョエルの心情に、あるいはその身にいつ何が起こるかわからない。それにジョエルが守っていったとしても彼の息子、あるいは孫がそれを引き続いて行うかどうか・・・。
「未来とは本当に不安定なもの。人間の移ろいやすい心にかかっているとは・・・。自分の力の無さが悔やまれます」
「何をおっしゃる。一族の長老ともあろうお方が」
 私は微笑んだ。
「もうその地位は後進に譲る事になっています。すでに予見の力は私から失われました。私は隠遁生活に入るのです」
 けれども彼女達に関することについては今まで通り私が行うというのが私の一族の決定だった。予知の力は無くても、ジョエルと交渉するには私以外適任者はいないという事なのだ。長の任から解放されて、私は彼女達と接触する機会が増えるだろう。
「なるほど。それでは今まで以上に私の監視もなさると言うことですな」
 くだけた調子でジョエルは言い、私が思わず微笑むと、ジョエルもそれに合わせるように笑った。そして笑いながらまるで冗談でも語るような気軽な様子で言った。
「子供を・・・引き取ろうかと思っています。サヤの相手になるような」
 相手。その言葉に私の笑顔は凍りつき、眉を顰めた。既に往年の能力は私を離れ、彼の言外の情報が読み取れない。たった今、ジョエルの心に賭けようとした私の決意はたちまち揺り動かされる。まさか彼は彼女達の繁殖実験をしたいとでも思っているのだろうか。これ以上彼女達を増やすつもりなのか・・・。翼手の繁殖方法、眷属の増やし方をこれまでジョエルに教えなかった。それはまさに正しい判断だった事を私は感じた。
「なぜ・・・子供を?」
「サヤに直接お会いになればわかります。塔の中の彼女同様あの子もまた外界というものを知らず、他人というものがどういうものなのか、どう接すればよいのかわかっていない。それに・・・あの子は歳をとらない」
 翼手の不老性も私はジョエルには伝えておかなかった。
「だから子供を?」
「子供ならばあの子も心を開き、またその子も少しずつでもサヤに慣れていくでしょう。時間はあります。いや時間が必要なのです。そしてサヤには十分それがある」
 まるで自分には無いような口ぶりでジョエルは言った。
「正確には私の助手が引き取ることになるでしょう」
 私はジョエルの助手を思い出した。一度だけすれ違ったことがある。ジョエルと同じような興味と熱情の持ち主だった。今ここに本来の私の予知の力があればと、これ程願ったことは無かった。彼女達。ジョエル達。あまりに不安定要素が多すぎる。
「どういう子供なのですか。その相手になるような子供というのは」
「もちろん、当たり障りの無い者を選びますよ」
 その言葉に私ははっとなった。
「その子も実験体なのですね、あなたにとっては」
 自分達より小さいものは存在する権利もないと言うのだろうか。ゴルトシュミット。欧州財閥の、その当主。彼の傲慢がかろうじて保たれている彼女達との均衡を崩しませんようにと、私は祈らずにはいられない。
 私の暗い気持ちを打ち切るように、その時扉がたたかれて使用人がジョエルを呼んだ。
「旦那様」
「おお、サヤが呼んでいるのかね」
 使用人がジョエルの耳元に何かを囁くと、彼のしわ深くなった顔が急に変化した。その表情に私は胸を突かれた。彼の顔には穏やかな優しい表情が浮かんでいる。先ほどとは対極にあるそれは、今まで私の前では見せたことが無い表情だった。それは父親が愛娘に対して浮かべる愛情深い顔だったのである。その落差に私は呆然となった。二つの矛盾した感情を持ちながら、その事実に気づきもしない憐れな初老の男。



 こうやって彼は愛情と欲求とに引き裂かれ、慈愛の裏で剣を磨き、刃の裏で愛を湛える。まだ未来は決まってはいない。例えこれから何が起ころうとも、彼女達が災いの種となってこの世に混乱をもたらすのは見たくは無い。
 私は前で手を組んで、そのままその手で自分の腹部に触れた。








またもや続く・・・






2007.11.01




 一体私はどこへ~~。どこへ行こうというの~~。と言う感じになっている今回のお話し。多分次回で終わる・・・と思うのですが、さらにさらにどこ行くの?って言う感じになりそうで恐ろしいです。あまりにオリジナル設定が前面に出すぎてしまいました。申し訳ありません。(でも・・・こんな感じで続けてしまって良いのでしょうか??と思いつつ、とにかく最後まで書いてみる事を当面の目標に・・・)





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