琥    珀





 3. パリ再び 1853年 : ジョエル



 私がゴルトシュミットの家督を継いでからもう25年近くになる。私の生活は相変わらず事業と、そしてボルドーの『動物園』との往復に費やされ、パリにある自宅にはほとんど帰らない。
 それでもその生活はそれなりに充実しており、私は満足していた。パリでは社交を行い、たまに家族の様子を見に自宅へ顔を出し、そしてボルドーに帰れば私を待つ者がいる。
『サヤ』
『ジョエル。お帰りなさい』
 不思議なミイラから取り出された繭から孵った赤ん坊は、今や一人の少女となり私の事を父親のように慕っている。珍しい花が手を掛けられて育つように、私の保護下で美しく成長したサヤ。昔もらった助言のとおり、外の世界に触れさせず温室に閉じ込めるようにして大切に育てた。知識と教養を与え、貴婦人としての教育を施されたサヤは外界に出せば良家の子女として遜色ないだろう。まるで人間の少女ように。私はそれに対して、芸術家が自分の作品に満足したような充足感を覚えている。
 だが私はサヤがどんな生物から生まれたかを決して忘れた事はない。そして私の中には未だ満たされない欲求も存在しているのだ。あの子達の全てを明らかにしたい。あの強靭な生命力は何のためのものなのか、なぜ彼らは彼らとしてこの地上に生きているのか。その神秘を思うとこの身の中に身震いするほどの何かが生じるのだ。この感情を分かち合うことが出来るのは、私の助手であるアンシェルだけだった。私の遠縁に当たる彼は、私と同様の熱意でもってこの神秘に当たっている。もしかすると私以上の熱意かもしれない。
 思えば私とアンシェルの二人だけでよくここまでの研究をしてこられたものだと思う。あらゆるアカデミーの伝手を持っているとは言え、財力に任せた金持ちの道楽とも取られかねないこの研究所を形にしてこられたのもアンシェルの手腕の功績が大きい。何をやらせても器用なこの男は、その才能を使うのにゴルトシュミット本家の事業ではなく、この『動物園』の運営を選んできた。今ゴルトシュミットの家業は、しごくまっとうな形で徐々に私の息子に引き継がれようとしている。
 アンシェルにはサヤの片割れの世話を担当させていた。サヤとその片割れの研究はほとんどの生理的な実験は終了し、今は生態観察に主眼がおかれている。たった二人の貴重な実験体。彼女達を損なうことはなんとしても避けたいと思っていたし、我々はそれに成功していると思っている。それにしてもアンシェルの手腕のなんと鮮やかなことか。お陰で私はサヤを少しも損なうことをせずに、この二十年を過ごすことが出来た。
 わかっている。あの琥珀色の瞳の少女が言っていたように、私達は神をも畏れぬ所業をしているのかもしれない。この実験の果てにあるものが祝福されたものとも思っていない。あの子達の驚嘆すべき能力を見出すたびに、私達人間の脆弱さを考えずにはいられないのだ。あの子達種族――私は翼手と名づけたが――のような優れた種がなぜ滅びの道を辿らなくてはならなかったのか、私達が同じ轍を踏んでいないという保証は無い。だからこそどうしても私は彼女達の生態を解明したかった。そのためには我が子同様に育ててきた「あの子」さえ犠牲にしても良いと思えるほどに。そんな私にとってサヤに片割れがいることは幸いだった。宝石のような青い目をした子供。美しい実験体。サヤの瞳が時折赤い光を放つのとは反対のように。
 そんな時こそ私はあの少女の琥珀の瞳を思い出すのだ。これからの未来を見て、私の心を決めるために。皮肉な事だった。この歳になって自分の事ではなくサヤのために、私は今まで否定してきた占いに心が傾く心情がわかるのだ。
今やゴルトシュミットの影響力は秘かに欧州に浸透している。彼女の位置を見つけることなど造作も無いことだろう。私は手はずを整えて、時が来るのを待った。



 すぐに逢う事が可能だろうと思っていたが彼女の足取りを掴む事は意外と難しく、私が彼女と会うことができたのはそれから何ヶ月か後の事だった。
前回逢った所とはまた別の屋敷に彼女は滞在していた。まるで放浪する民のように彼女は一つ処に留まらない。訪問先の屋敷に到着するとすぐに彼女が滞在しているという別室に案内された。
 案内された部屋の前で声が掛けられると、くぐもった声が入室の許可を与える。白い衣を身に着けた女性が椅子に腰かけている姿が目に入った。まるで私に対して挑みかかるように背筋を伸ばしたまま、まっすぐに私の方を見据えている。忘れる事が出来ない琥珀色の瞳。最初の時のように私が呼んだのでもなく、十年前のように突然社交の場で呼び止められたのでもなく、私の方から彼女を探し出して逢おうとするとは。
 しかし目の前の女性は驚きの欠片も見せずに私に対面していた。まるで私が来るのが予め判っていたかのように。
「ゴルトシュミットのご当主」
 その声は記憶にあるよりも少し低めだった。
「思ったよりも遅かったのですね」
「これは最初から手厳しい。まさか私が来るのが判っていらしたとおっしゃるのではないでしょうね」
 冗談のつもりだった。
「勿論です。だからこうして予定を延ばしても、ここに滞在していたのです。あなたにお逢いするために」
 まさかの肯定は私に驚愕とわずかばかりの納得をもたらした。
「なぜ私があなたを訪ねると?」
「わかりますとも。だからこそ、私達は占い師として高位の方々の信頼と後ろ盾を得ているのですよ。私にお聞きになりたい事をお話ください」
 逢う時にはいつも彼女は何かに急き立てられるように落ち着かない様子だったが、今日はより強くその傾向が感じられる。それが私の不安を掻き立てた。
彼女は身振りで私に椅子を勧めた。
「それでは私が聞きたいこともわかっておいでなのでは?」
「私達は実際に問い掛けられることによって、事象の響きを導き出す者――。
ですが判っています。彼女たちのことですね」
 私はただ彼女の次の言葉を待った。
「私を訪ねておいでなのは、あなたが彼女達の事を知りたいから。彼女達がどのような命なのか、どのように接していけばよいのか・・・。不安なのですね。彼女達の生きて行く未来が。そして彼らのように強い種族が何故彼女達を除いてこの世に存在していないのか。彼女達と人類とはどこに行くべきなのか」
「あるいは人類はこれから彼らの形状の何を取得していくか、いくべきか」
言葉を繋ぐと、彼女の琥珀の瞳が鋭さを増して私を見つめた。
「人が行くべき道はあなたが決めるわけではありません。彼女達の未来も然り。それは人の手には余ることです」
「しかし「あの子」達の種族はたった二人。私が保護してやらねば生きていけないのも事実でしょう」
「保護?観察ではなくて?」
「愛情を注いでと言われたのはあなたの方では?」
「ではなぜあなたのお言葉にこんなに不安を感じるのですか? 以前にもあなたは私を謀っておられた」
「謀るなど。私はきちんと彼女達への保護の責任を果たしていますよ」
「保護。確かに今はそうでしょう。しかしあなただけでは足りない。人間の命は彼女達に比べてあまりにも儚すぎます」
 その一言は私にとって微かな不安を揺さぶるものだった。サヤが『動物園』に来てから既に二十年。本来ならば妙齢の女性となってもおかしくない年頃だというのに、サヤは十五、六のままのように見えるのだ。だがサヤの顔立ちは東洋的だった。あの、年齢不詳の人種にはよくある事なのかもしれない。
 不思議なことに私はそれまでサヤ達が私達の年齢以上に生きていく事など想像したことがなかったのだ。
「ゴルトシュミットのご当主。だからこそあの繭を孵した時、あなたはとてつもない責任を負ったのです」
 彼女の声に我に返った。光がその中にちらちらと踊るような琥珀色の瞳が私を見つめている。断罪者のように。あるいは異教の巫女のように。
その時、突然気が付いた。この琥珀の瞳を持つ女性を見つめていると奇妙な感覚に襲われる。既に結婚していてもおかしくない年頃だというのに、その容色は未だに初々しい少女のように頑なな美しさを保っているのだ。まるで年齢を感じさせないように。
 それからそれがまるでサヤのようだと思っている自分に気がついて戦慄した。しかしサヤの外見は未だに少女のままだった。それは比較にならない位、歴然とした差異だった。改めて私は彼女に尋ねずにはいられなかった。
「サヤは・・・サヤは何者なのですか?」
「言ったはずです。人間を超えたものであると」
「サヤはずっとあのままなのですか?」
「あのまま、とは・・・」
「あのまま歳をとらずに少女のままで――」
「そう。少女のままで生きていくのでしょう」
「それは・・・」
「あなたが死んでも、そして私が死んでも」
 畏れというものを私はその時初めて感じたのかもしれない。それと同時に奇妙な悲しみを。私が死んだ後、サヤはどうなるのだろうか。私は研究の費えを思い巡らせ、また自分自身の死を思い巡らした。今は遠く感じられてもその時は必ずやってくる。サヤの上にも、私の上にも。すでに私は人生の半ば以上を通り過ぎた。
だが。今は未だその時ではない。私の前にはまだ時間がある事も事実なのだ。その間にやれるだけの事はやっておけるだろう。新しい学説も出ている。日々新たな驚きは誕生しているのだから。
「では最後にあなたのご助言を頂きたい。私は「あの子」達に何をやってやればいい?」
「私があなたに申し上げられることは一つの事柄だけです。それはあなたが彼女達にしなければならない唯一の事。
 彼女達は幸せなのですか?この世に彼女達を生み出したのがあなたなら、あなたが彼女達を愛しみ、彼女達が人間とともに歩めるようにしてあげてください。互いに尊重しあう、そんな関係を人間と築けますように」
 その言葉は懇願とも祈りの言葉とも言えぬ独特の響きに満ち、沈黙が二人の間に落ちると言葉に出来ない疑問が互いの間に漂った。先にその重苦しさを破ったのは彼女の方だった。
「ゴルトシュミットのご当主。今日お逢いできて良かった・・・。
私は私の一族からあなたの被保護者に向けて遣わされた者でした。あなたの保護下にあって、彼女達が外界に触れずに心穏やかに過ごし、閉じ込められたまま静かに生を過ごしていくのを私達は心から願っています。彼女達は過去の種族。決してこの世に出してはならないものなのですから」
「・・・まるで最後の言葉のようですね」
「ええ。私はこれから一族の長になります。長になれば私は故郷に閉じ込められて、ほとんど外に出る事も叶わなくなるでしょう。しばらくはお逢いできません。ですからその前にあなたにお目にかかれたことは私にとって僥倖なのです」
白い睫毛がその琥珀色の瞳をけぶるように覆い隠した。







またもや続く・・・






2007.10.22




 すでに『BLOOD+』ではない感じに・・・。『BLOOD+』じゃない~。私の書き方になってしまっている~~。とパソコンの前で悶えてます。申し訳ありません・・・・。今回でジョエル編はおしまい。次からは琥珀の瞳編です。





Back