琥    珀





 1. ボルドー 1833年 : ゴルトシュミット



その人物に会おうと思ったのは、単純な興味。それがまだうら若い乙女だと聞いたからだった。


それは1833年。雑多なエネルギーが各所で溢れていた時代。車や鉄道は開発されていたが、人々は未だ馬車を使っており、言い伝えやまじないが未だ主張をしていた時代だった。
ゴルトシュミット家ではその大きな館の中で、当主が困惑に眉をひそめていた。これから会おうという女性が当初の予想に反して辻馬車などではなく、ある大変著名な貴族の馬車を使っていたからである。その馬車を使っているというのは彼が彼女の後ろ盾になっている事を意味する。占い師だというその女性のことを、てっきりそこらへんにいる安っぽい山師同然の者だと思っていたのだ。彼は自分の認識を改めなければならないと考えた。 まだ若いゴルトシュミットの当主は事業家であると同時に最新の知識を有する学識者であり、科学者の一端に属していると自負していたし、過去の遺物である迷信などは端から信じてはいなかった。それなのに、どういう経緯で占い師風情と会わなくてはならなくなったのか、実のところ彼の記憶も定かではない。
 しかし嘆息しながら書類から目を離した時、すでに彼の興味は地下の実験室へと転じられていた。そこには先日誕生したばかりの二人の赤ん坊がいる。いや、アレを赤ん坊と言ってしまってよいものか、実は彼は迷っているのだ。アレは人間の胎からでは無く、繭から誕生した。それも人外の、異形の生物から。あれらをどうするか、どのように実験していくか、それを考えると興奮が抑えられない。この場合、二人存在していると言うのは好都合だった。比較が出来るし、万が一、一人が失敗しても代わりがあるという安心感がある。



「旦那様」
 物思いから現実に引き戻したのは使用人の声だった。
「来たか」
 無碍に断るわけにはいかない。ジョエル・ゴルトシュミットはまだ若かったが、絶対的な財力は、とかく絶妙な力関係の均衡の上に成り立っているのだということも十分に理解していた。権威の力も侮れない。それに好奇心は人生における最大の香辛料でもあるのだ。
待たせてあった部屋に入ると修道女のように禁欲的な白っぽい衣が目に付いた。
「あなたがゴルトシュミットのご当主?」
 鈴を転がすような高い声とともに、小さな影が一歩踏み出す。その姿に、ゴルトシュミットの主は目を剥いた。うら若い乙女どころではない。少女、いや幼い子供と言ってよかった。せいぜい六、七歳くらいだろう。彼女の後ろに控えている付き人のような女性の方がよほどそれらしい。
「ようやくお会いできた」
「お目にかかれて光栄ですな」
 幼いくせに、いっぱしの口調が気に障り、口調がつい皮肉っぽくなってしまう。しかし言いながらもその幼い少女の姿から目を離せなかった。
(白子か)
 彼女の髪は銀色に光り、瞳の色は濃い黄色に染まっている。
「やっぱり私のこの髪と目がお珍しいのですか?」
 少女は彼の好奇心に気がついたのか、奇妙に大人びた表情でジョエルに言った。
「私の一族は皆このような色なのに・・・」
 と自分に付いて来た女性を振り返ると、彼女も見事なまでに少女と同じ白い髪をしている。
「そんなつもりではありませんよ」
 言い訳のように彼が言うと、その子供は黄色の瞳を細めて笑ってみせた。
「いいんです。この外見だから、占いの力が必要だったと言われたこともありますから」
(それは興味深い事だ)
 その小さな呟きを聞きとがめて少女が問いかけた。
「私の外見と能力に興味が? では私の占いそのものにはーーあまり興味はないということですか?」
「どちらかと言うと。私は現実主義者でね」
「それではなぜ私のようなものをここに招かれたのですか?」
その大人のような口調にジョエルは笑った。
「実のところ自分でもどうしてなのかわからないのです。ですが全く興味が無ければ御招待などしませんよ」
 もちろんしかるべき筋からの紹介があったからでもある。
「ではゴルトシュミットの血が呼んだのかもしれませんね」
 しかし白い髪の間から黄色い瞳でそんな事を言われると、聊か不気味な気がしないでもなかった。次第にジョエルの口調が詰問調になってくる。
「ゴルトシュミットの家に私以前にもあなた方を呼びつけた者がいたということですか?」
その言葉に少女は興味なさそうに肩をすくめた。
「私はそんな風に教えられてきました」
「なぜ今になって再びゴルトシュミットに?」
「しなければならない助言を与えるために」
「何の?」
「さあ・・・。助言と言うのは受け取るの方に準備が必要なもので。そちらが何をして、何を求めているかによって意味を変えると教わりました。あなたは何を求めているのでしょうか?あるいは迷っているのでしょうか?」
「それをあなたが言うのですか?占い師だというのに。私はまたあなた方の方こそが私に必要なものを読み取って与えてくれるものとばかり思ってましたよ」
「本当に必要なものは私たちでもわかりません。私にわかるものといえば表層のものばかりで――。 例えば新しい乗り物の事業に手を出すかどうか、とか。あるいは葡萄酒の事業を拡張しようかどうか、とか・・・」
 ジョエル・ゴルトシュミットは目を細めた。相手が見かけ通りの存在ではないことを気が付いたのだ。だが見かけ通りのものでないものならばいくらでもあるではないか。例えば地下実験室にいるあの双生児・・・。
「それに何か、とても尋常ではないものにも手を出そうとしている・・・」
 黄色い瞳が彼を見つめ、彼は落ち着かない面持ちで眉を顰めた。
「それは私の個人的な趣味であって、あなたには関係の無いことだ。それに関しては何の助言も必要ありませんよ」
「でもそのうちに必要になります。
例えばあなたの地下室。そこに一体何があるのです? 何をしようとしているのです?」
「さてさて。あなたは何を知っているというのかな?」
「何も。だからこそここへやって来たのです。あなたの道標べになるように言われて」
「何も知らないものが何を助言すると?」
「実際に見れば何が必要なのか私にもわかりますもの」
「なるほど。だが先ほども言ったと思うが、私は迷信やら伝説といった類のものは一切信用しないようにしているのですよ」
 彼女は幼い面立ちのまま、ジョエルの瞳をじっと見つめた。
「それでもそれらが何なのか、知りたいという欲求はあるのでしょう?」
 ジョエル・ゴルトシュミットはこの子供の姿をした得体の知れない少女の瞳に不思議な透明感を感じた。おかしなことにそのことがジョエルの警戒心を薄れさせた。
「失礼だが矛盾していませんか?あなたは何も知らないからここへ来たという。しかし私が手に入れた何かをあなたは知っていて、それについて詳しく知っているとも言っている」
「もしも私たちの思っていたとおりなら、あなたが手にしたのはきっと人間が手にしてはいけないもの。無知ゆえの破戒ほど恐ろしいものは無いから。でも私たちならもしかすると何か助言をして差し上げられるかも――」
 それを聞いてジョエルは慄きが身体を走ると同時に、非常な興奮もまた身体を経巡るのを感じていた。もう少しで地下のアレらをこの少女に教えてしまいたいと感じるほど。
「占いは占う私たちにとっても漠然としたものですから。
だからあなたが何をしているのか、知りたい。何を考えているのか、知りたい。そうすればきっと私にはあなたの未来が見えるようになる」
「で、あなたはそれを提供するというのですか」
「そう。そしてその見返りにあなたの事業に関する情報もお伝えするように言われてきました」
「私の事業が付随とは・・・。またなんと大きな事をおっしゃる」
 大人の笑いが子供の沈黙に沈んだ。
「でもあなたにとってはそうでしょう?」
 確かにジョエルにとって安定した利潤を生み出している家業の行く末よりも、今や地下実験室のアレらの方がよほど気になる対象となっている事は確かだった。
「よろしい。では案内しましょう」



 地下の実験室に、彼はめったな事で他人を入れたことが無かった。この地下室におけるほとんどの雑事はジョエル自身とただ一人の助手だけで賄っている。これは自分の生涯かけて完成させるべき研究になるはずだ。そんな所へなぜ年端もいかない子供を連れて行こうとしているのだろうか。
 子供の小さな足音が遅れまいと急ぎながら自分のすぐ後ろに付いて来るのを不思議に思いながらジョエルは聞いていた。
「怖くはありませんか?」
「怖い? いいえ」
 辺りは化石やら標本やら、気の弱いものが見たら腰を抜かすか、あるいは迷信深い者にとっては悪魔の所業に見えるだろう不気味な陳列が続いている。薬品の臭いが鼻をつく。
 さらに奥まった部屋の扉をジョエルは開いた。先導するように少女の先に立ってランプを灯した。部屋の中央にはどっしりした台座があり、ガラスの棺に黒い覆いが被せられたものが置いてあった。
彼は少女に近くに寄るように身振りで示した。
「あなたが見たがっていたものですよ。そして今の私にとっての最大の関心事でもある」
「これが・・・?」
「腕から腹にかけて、翼種目――つまり蝙蝠の類に似た鰭状の膜があるのでね」
 徐々に興奮が自分の内側に膨らんでいく。
「我々は翼手と呼んでいます」
 言うなり覆いを取り除ける。その醜い異形の姿に、少女がよろめく姿が目の隅に入った。大人びた口調と知識をひけらかしてはいても、まだまだ幼い子供なのだ。このような悪魔じみた生物を実際に見る事など想像もしていなかっただろう。悪魔じみた・・・・まさに化け物。だが人間との類似も多い。創造主の神秘を垣間見たような、あるいは神の領域に触れたような精神の昂ぶりを感じ、少女が口元を押さえて青くなっている姿に幾分優越感がこみ上げた。
「大丈夫ですか」
 子供が大人の世界に首を突っ込むと碌な事にはならない。
「子供が・・・・いたのですね・・・・」
 だが今にも倒れるかと思えるほど真っ青な顔をしながら少女はまるで咎めるように言った。その抑えた口調を聞いたとたん、ジョエル・ゴルトシュミットは冷水を浴びせられたように身震いした。
「どうしてそれを・・・・」
「胎が割られた痕が・・・あります。どうしたのですか、彼らを。赤ん坊を――」
「正確に言うと繭です。胎内に繭がありました。人間の赤子ではありえない」
「その繭は二つ?」
 今度はジョエルは何も言わなかった。すると幼い少女は口元を押さえながら、ため息を漏らすように苦しそうに言葉を吐き出した。
「その繭をそっとしておいてやって。もうこれ以上手を触れてはいけません。彼らは既に過去のモノ。そっとしておいてやるのが一番です」
 彼らにとっても、あなたにとっても。
「あなたは何を知っているのですか?」
 たかが占い師。けれども
「予言をよくする者は災いである」
 子供の口から聖書の言葉が吐き出される様は神秘的を通り過ぎて不気味だった。
「そんな風に言われる訳がなんだか今わかったような気がしてます。
――アイスランドのバイキングの末裔が、あるものを秘かに祀っていました。そしてそれに纏わる不思議な伝説の幾つか」
「それは・・・」
「人間以上のもの。そして人間に寄り添うもの。ある時代には神々とも見なされ、ある時代には悪魔とも囁かれ、今はもういなくなってしまった種族。
――彼らは育てられた環境に非常に左右されると伝えられます。鳥の雛が親鳥の後を追いかけるように、彼らは育てられたものに影響を受ける。それは危険なほどに。それなのに人との交わりを求めて、人の姿をしていて。とても美しい姿をしていて・・・。かつては人よりも優れた叡智と力を持っていたとも言われていますが今では全ては失われ、ほとんどが死に絶えたと言われていて――」
 ジョエルは彼女の言葉に身震いするほどの興奮を憶えた。既に繭は多くの血に浸されて、人間の赤ん坊として孵っている。
 だがこの幼い娘は青い顔を引き攣らせて首を振った。
「ここは・・・とても・・・寒い」
「出ますか?」
「死んでしまったモノの声が・・・私を揺さぶっている・・・のです」
「大丈夫ですか?」
「気持ちが・・・悪い・・・」



 子供の身にあれはあまりにも刺激が強すぎたのではないかと今更ながらジョエルは少々後ろめたい思いを噛み締めて先頭に立った。よろめいた子供の身体は冷たく震えている。今にも意識を失いそうな様子に気付けの用意をさせようとしたジョエルに少女は首を振った。
「大丈夫」
 少女の瞳の色が黄色というよりも琥珀に近い事をジョエルは今気がついた。アーモンド型の大きな瞳。
「それよりもどうか私の言葉を忘れないで下さい。決してアレに手を触れてはいけません」
「なぜ? 彼らはどこから来てどこへ行ったのか。そして人間はどこから来てどこへ行くのか。これを観ているとその疑問に対する答えが見えてくるような気がしませんか」
「ええ。それもわかります」
 言いながら少女は首を振った。いいえ。わかってはいけない事なのだ、と。それは人間の手には余る事なのだ、と。
「約束してください。彼らをそっとしておいて」
 冷たく震える少女の手を同族の女性に引き渡しながら、ジョエル・ゴルトシュミットは約束の言葉を口にしなかった。代わりに質問を投げかける。
「最後にひとつだけ、教えてください。――彼らは何者なのですか?」
 少女は首を振った。
「伝えられる彼らの特徴は、肉体の強靭さ、維持力、そして・・・・彼らの最大の特徴はその主食にあります」
 踵を返して出て行こうとする少女の足が一瞬止まる。
「彼らは、人間の・・・・血が必要なのです」
 そのまま彼女の小さな影は待っていた馬車に向かって遠くなっていった。






またもや続く・・・






2007.10.12




 初代ジョエルのお話を作りたいと思って書き始めたのに、またもやオリジナル展開を・・・。すみません・・・。こうやって需要の無いものを作っていってどうする!?とも思ったのですが需要がないからこそ、こそこそっと色々とつくれちゃったりするかも。と思い直して取り合えず脳内妄想を吐き出す事に。
 せめてオリキャラには名前を名乗らせない事がせめてもの私の善意・・・だったりして。
 表には何も出しませんが、オリキャラだから好きなように背景を作りこんで作りこんであります。
 いくらゴルトシュミットが大きな力を持っていたり、ジョエルとアンシェルが翼手について研究していたとしても、サヤとディーヴァだけでは色々と判らなかった事もある筈だ!しかも『赤い盾』の装備や知識だって半端じゃない!ではないか。と思ったことから広がった妄想。翼手の知識と歴史をある程度知っている一団(あるいは一族)があっても良いではないか!と思って・・・。すみません。





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