伝  説




  


 昔々。まだ人間が、自分達が何者なのかを知らなかった時期。高位の種族が空の下を、自分達の素性を隠す事無く歩き回っていた時代。
 ある処に種族の内でも高貴な血を持つ一人の女王がおりました。彼女はそれはそれは美しい白い姿を持ち、その髪は月の雫を映したような銀に輝き、その目は晴れ渡った空よりもなお鮮やかな青。肌は陶器の白を写し、唇は艶やかな朱を刷いておりました。
 一族は皆彼女を褒めそやし、天の下に息づく者のうち彼女ほど美しい者はいないと申しましたが、彼女はそれを聞くにつれ、秘かにため息をつくのでした。
 なぜならこの姿は人間たちに対する擬態であり、本質は決して美しいものではないと、彼女は知っていたからです。
 時折彼女の目が彷徨うのは、一族の下僕とも言える短命で、愚かしくも儚い、人間の種族でありました。彼らは命の寿ぎを知り、熱く明日を信じ、それ故に彼女の一族が知り得ぬ美しさを纏っているように彼女には思えたのです。




 朝と多くの夜が過ぎ、理によって、彼女もまた子供を宿す身体となっておりました。夕が来て、朝が来て、やがて彼女は美しい白い繭を産み落とし、母の身となりました。
 しかし、一族はその繭を見て茫然となりました。なぜなら一族の女王に宿る子供は常に双子と言うのがこの世の始まりからの定めであったのに、彼女が産み落としたのはたった一つの繭だったからです。
 不吉な子。とその子は呼ばれました。繭のまま流してしまえ、と。しかしその子の母である女王は言いました。
 この子を宿したのはこの私。この子に何の罪があるでしょう。
一族は皆この女王を愛しておりましたので、彼女の願いのために、不安に苛まれながらもその不吉な子を育てる事にいたしました。
 多くの血が注がれて、やがて繭からは玉のような一人の赤子が生じました。その子供の瞳を見た時、一族は感歎の声をあげました。
 その子は母親譲りの白銀の髪を持ち、右の瞳は血の赤、左は空の青を宿していたのです。対の女王の二つの眼。その特性を持つ一人の子。それは一族の新たな祝福を顕わしているようにも見えました。あるいは禍事を。
 吉兆だ、と言う者がおりました。凶兆だ、とも。いずれにせよ、その子は一族の女王の血、二つの意味を併せ持ち産まれてきたのでありました。




 大切に、その子は育てられました。物惜しみなく、掌中の玉のようにして。けれども慈しみは――。相対する2つの感情の狭間に彼女は置かれました。母親からは心からの愛情を。一族からは態度の裏に隠された疑念と蔑視を。双子の片割れも傍にはおらず、彼女の内には愛情と共に深い孤独が穿たれていき、こうして彼女はすくすくと成長していきました。
 やがて定められた歳月は過ぎ去り、彼女の時は留まりました。彼女の母が願ったとおりに美しく、一族が願ったとおり従順で麗しく。たおやかな肢体、透き通る声。すべての一族はその姿ゆえに彼女に満足し、祝福を与えました。
 定めは廻り、時が数えられ、常ならば娶りの日がとうにやってくる筈でありましたが、彼女は未だに一人の人間もその眷属に据え置く事はしませんでした。
 騎士はまだか、と一族は言いました。最初の眷属は。その出現によって初めて女王は一人前になると。けれども彼女は首を振りました。
 私の時はまだ来ていません。私に眷属は必要ない。
 その言葉を聞くと一族は不安に眉をひそめました。有るべき姿を持たぬ女王はやはり呪われた存在なのかと。一族の繁殖は女王によってのみ行なわれ、今の女王には子供は彼女一人しか産まれなかったからです。
 我が一族は女王に拠る。眷属を選ぶのは女王の義務。一族は嫌がる彼女を無理矢理人間の元へ遣わしました。




 その頃。まだ人間たちは粗野で荒々しく、一族の庇護の元、日々の暮らしを託っておりました。太古の生命力と愚かしい畏怖を併せ持ち、彼らにとってはようやく光の明け染めし時代でもありました。
 ここに一人の人間が在り、彼女が降り立つのを見ると我が身の行幸を喜んで言いました。麗しき一族の女王よ。貴女方は万能でありすべてを司る。我が望みを叶え給え。彼女はその言葉を聞くと、美しい眉を曇らせ、その人間に言いました。
 我が一族は全能ではない。我らが求めるのは一つの願い。我らが与えるは純粋な望み。おまえは何を望みとして捧げ、何を願うか。
 この世のあらゆる権力を。そのために私は私以外のもの全てを捧げる。けれども彼女はため息をついて言いました。
 我らが求めるはおまえ自身。おまえの家族でも、おまえの命でも、ましておまえの心ですらない。代わりに永遠の時間を与える。その理に汝が身を曝して。
 すると彼は急に畏れを感じて言いました。我が身無くして何の地位か、何の力か。その答えを聞くと、彼女は踵を返して自分の種族の元へ帰りました。未だ人はこの世の欲望以外を見通せず、浅はかな価値のみを求めている。我が種族への変化には耐えられません。
 それを聞くと一族のうち年降りた者達はため息をつき首を振りました。女王の血はすべてを変える。なにゆえ彼女はそれを判らぬか、と。彼女はそれでも頑なに、人間の元へ赴く事を拒んでおりました。けれども幾年かが経ち、ついに一族のすべてが彼女に人間を望むと、再び彼女は人間の元へと降り立ちました。




 その人間は彼女の美しさを見て声を上げました。美しき女王よ。私の望みは貴女ご自身。私の持てる全てのものを、私自身も貴女に捧げる。彼女はその人間の目を見て、その中の恋情を不思議な面持ちで眺めて言いました。
 おまえが知るのは私の外貌。おまえが欲するのは単なる容。我らの内に何があるのか、おまえは何を知っているのか。
 すると人間は答えて言いました。不死の時間、天上の権利。すべてを含んで貴女が在る。それを聞いて、彼女は首を振りました。彼が見ているのは彼が見たい彼女であり、彼が求めているのは彼自身に他ならなかったからです。彼女は再び踵を返して自分の種族の元へ帰りました。未だ人はその身以外のものを見通せず、自己に呪縛されている。我が種族の持つ、時の重荷には耐えられません。
 一族は再びため息をつきました。女王の眷属はすべてを賭けて彼女に従う、そのように決められたものなれば、彼女を欲した人間を眷族に迎えるのは理にかなったことと言えたからです。
 そこで一族の者たちは三度、彼女を人間の下へ遣ることに決めました。




 今度の人間は赤ん坊の時から一族の女王のために育てられ、純粋で彼女のみを見つめる者でした。赤子のようなその瞳を見つめながら、彼女はひとくさり、歌を歌ってやりました。するとたちまち人間は意識を失って倒れました。彼女の歌には全てのものの本質を揺らし、審らかする能力があったからです。目覚めたとき、彼は彼女に対する恐怖と思慕に引き裂かれ、再び彼女の前に倒れ伏し抱き起こした時には息をしていませんでした。彼女はそれを見て言いました。人間はあまりに未熟ゆえ、自らの事さえわからないほど複雑で脆い。我らが種族の持つ、激しさには耐えられません。
 一族の者たちは今度は何も言いませんでした。やがて四度、彼女は一族によって人間の元へ遣わされました。




 その時。度重なる女王の不興に、人間はすっかり彼女を恐れておりました。万能の不死なる一族の不興を買っては自分達は生きていく事ができない、と彼らはわかっていたからです。その人間は一族に対する惧れを抱いた人間たちが、彼女の怒りを鎮めるために差し出して、その目の前に置き去りにされた者でした。
 彼はひどい身なりをしており、人間たちの中に於いても顔を背けられるほどでありましたが、ただその目だけは深く澄み透っており、底の無い泉を眺めているようでありました。連れてこられた彼は物怖じせずに彼女の前に立ち、彼女の瞳をただ黙って見つめていました。彼女は言いました。
 おまえは私を欲しても、拒んでもおらず、また無理やり連れてこられた事を呪っても怒ってもいない。おまえは欲望にもまた自分自身にも呪縛されていはいない。ではひとつきこう。おまえは時を超える我が種族の祝福を受けるつもりはあるか。するとかれは答えて言いました。
 女王よ、あなた方の一族は純粋で美しい。だが同時に非常に醜い。時に呪縛されているのはあなた方の方であり、我ら限りある者たちは限られた時を自覚しているからこそ、それを越えて貫かれる真実を求める。あなた方にそれを示すことができるのか。




 それを聞いて彼女はひどく驚き、ちょうどその時眼を覚ましていた母の元に帰って言いました。短命であると聞く人間が私たちよりも深くこの世の理を知ることなどどうしてありましょう。
 しかし母たる女王は微笑んで娘に手を差し伸べました。彼らの力を軽んじてはなりません。彼らの命は短くて、それだからこそ我らと異なる深く熱い息吹を知るのです。
 彼女はそれを秘かに心に止めておきました。母の言葉は、何故自分達が本来ある姿ではなく、人間の姿をとっているかと言うことも、彼女に考えさせたからでした。
 私たちの美は彼らと共にあり、私たちの一族は彼らの命と共にある。彼らが我らのために在るのではなく、我らが彼らのために在るのではないか。しかし彼女はそれを自分の種族には言うことはありませんでした。自分の考えが他には受け入れがたい、危険な考えとわかっていたからです。




そのまま彼女はその母の元へ留まるかと思われました。しかし彼女は秘かに地上に降り立ち、前に出会った人間のところへ赴いて言いました。おまえはおまえの種族の誰とも違う。時というものに縛られず、物事の真実を見つめたいと願っているのならば、我が種族の宿命にも耐えられよう。私の種族の持つ重荷を私と共に負う事ができるのか。しかしながらその人間は笑って言いました。私の心は私のもの。私だけのもの。誰にも捧げる事はない。彼が求めるものは一族の永遠などではなく、自分自身の道を極め、真実を知ることだけだったからです。
 しかしそれを聞くと彼女は彼を憐れんで微かに笑いました。おまえは一人。一人きり。それが意味する孤独におまえは気づかず、孤独の中で掴み取る真実がどれほど価値あるのものなのか、理解できまい。そうしてそっと言いました。私の重荷は私のもの。私だけのもの。誰に負わせるものでもない。
 その言葉には呪力があり、それを聞いた時、彼は彼女の中に何があるのか理解し、その前に首を垂れました。彼女の孤独とその中にある真実を、彼は見ることが出来たからです。それは彼女の一族にはわからない、限りある者のみが見出すことの出来るものでした。




 彼女は彼を眷属に加えることはしませんでした。一族ではなく、人間としての彼に世の理を見出す事を望んだからです。それは一族にとっては忌むべき事でもありました。やはりあの娘はわが一族の意志に叛く者。一族の古き者たちは囁きました。しかし一族はそれ以上何をする事もありませんでした。彼らは人間と言うものを彼ら自身よりもよく知っておりました。年若な女王よりも。
 人間たちは彼を妬み、若い女王を恨みました。自分たちが認める者ではなく、自分たちが蔑んでいた者、理解できない者を彼女が認めたからです。人間の嫉妬の感情は、彼女の予測を上回り、彼女の目の届かぬ処で彼は同じ人間の手によって、秘かに残酷に殺されました。彼女に対する供物として。
 彼女は目の前に差し出された彼の遺体を見つめました。彼の中に見た真理を求めるものも、彼らの中に見える残忍さも、ともに人間のものと知ったのです。
 一族は彼女が人間に絶望したと思いました。しかしながら彼女の中には以前よりも深く人間に対する理解と共感が湧き上がっておりました。同時に彼らの残忍さは一族の中にもあり、二つの種族が共に分かちがたい程深く結び付けられている事も理解したのです。そして彼ら全体に存在する恐怖の感情にも。彼女は再び一族の手をすり抜けて人間の下へと赴きました。何が待っているのか、半ば知りながら。
 人間たちの前に降り立った時、銀色の剣が彼女の胸を貫き、その衝撃に彼女はくず折れました。彼女は目を瞑りました。人間の嫉妬の念がこれほどまでに強いものだということを、そして懼れというものがこれほどまでに複雑に変化していくことを、彼女はその身をもって知ったのです。彼女はそのまま人間たちが自分に近寄ってくるのを色の違う左右の瞳でじっと見ておりました。
 もとより一族は不死なるもの。その剣は彼女を縫い止めて、身体の動きを封じる役目にしかならないことは皆知っていました。彼女には彼らの望みがわかりました。聖なる女王の軀。その不死の源の――。




 その時、娘の身を案じた女王がその臥所から身を起こし、人間の住む場所にまで降り立ち、娘の様子を知りました。母たる女王は悲しみに呻きながら、娘の身体を抱きとめました。そして彼女の身体を貫いた剣はその鋭さのまま、彼女の血潮をまとわせて、母たる女王の胸もろともに貫いたのです。
 不思議なことが起こりました。姉妹のいない彼女の血は、どの一族の滅びともならず、またどんな血も彼女の滅びになるはずが無いと思われていたにもかかわらず、そしてまた、既に姉妹を亡くしていた母たる女王の血も同様に思われていたにもかかわらず、彼女の血がその母親に注がれたとき、母たる女王の身体は石化の音を立て始めました。
人間たちは一族の女王の滅びを呆然と慄きながら見つめていました。若い女王の血が、古い女王を殺していく様を。




 何という事を。女王を奪われた一族の怒りはすさまじく、大地が割られ、家々は焼かれ、三日三晩のうちに、その人間の氏族は赤子まですべてが一族に喰らい尽くされました。なぜなら一族は神々しさとともに残忍さを、慈悲深さとともに冷徹さを、その身の内に秘めていたからです。後には若い女王が苦悩と喪失の果てに一人取り残されておりました。
 それでは彼女をどうするか。すべてが終わると一族のうち主だった者たちは考えあぐねて言いました。女王の滅びの元となった若い女王をそのままにしておく事は、誇り高い一族の掟に背くものでした。しかしながら彼女には対の姉妹が存在せず、速やかに命を奪う毒なる血液もまた、ありませんでした。彼女の首を切り取るか、彼女を灰になるまで焼き尽くす、一族の中でも罪人にしか許されない残酷な方法でしか、彼女の命を絶つことはできないと一族のものたちは思ったのです。
 それでは永遠の刑罰を。一族の者は言いました。呪いとともに一族から追放され、彷徨い歩くことを。




 眷属もいないままに彼女はすべての一族から追われました。彼らの呪いはどこまでも彼女に付き従い、休むことなく追い立てられて彼女は永い永い歳月の間、地上のあらゆる場所を彷徨いました。いくつもの山を越え、河を越えて、とうとう最後に彼女は世界の果てへとやってきました。そこにはすべてを見下ろす程の巨大な山がそびえており、その中腹からは滔々と大きな河が流れておりました。
 若い女王は河に辿りつくと、そこでようやく足を止め、その水で喉を潤すと流れを遡り山の中に分け入りました。氷と雪は彼女の足を捉え、岩は彼女の足を切り裂き、点々と小さな雫が彼女の歩いた後には残りました。何日もかけて彼女はまだ誰も踏み込んだことのない、深い山の懐に入り込んでいきました。




 空気が凍り、すべてが氷柱に覆われたその中を若い女王は歩きました。川面は静かに流れ、耳元で氷が割れる音がしたかと思うと呪いが彼女の足元に落ちてきましたが、そのまま彼女はさらに奥深く。水の行き着く果てまで足を進めて行きました。
 やがて樹木が氷になり、その枝から虹が滴り落ちるようになりました。自分の足音さえも凍て付く果てに、唯一つ轟々と音を立てて流れ落ちるのは、巨大な滝。藍色の水が薄青い雪の壁を削り取っておりました。彼女は持てる最後の力を振り絞ると、その瀑布を遡り始めました。水の剣は彼女を穿ち、三度息をして三度目にようやくその滝を登りきると、彼女が辿り着いたのは天空が覆いのように開け、対岸が霧に覆われている大きな湖のほとりでした。穏やかな湖面はこの世の初めから乱されたことが無く、こここそすべての水の源であり、すべての河の始まりの場所でありました。
 その水辺まで来ると彼女は足を止めました。長い逃亡の旅が今ここで終わったのを知ったのです。
 今こそわかった。彼女は言いました。私が何をなすべきか。私が何を成し遂げるべくこの世に生まれてきたのか。
 彼女は一人で船を造り、それを湖に浮かべると、一日かけて漕ぎ進みました。凪いでいるように波一つ立っていませんでした。ちょうど湖の中間までやってくると、彼女は持っていた剣を取り出しました。追っ手から逃れるためのその剣に、最後の働きをさせようと。
 切れ味鋭いその剣を逆手に掲げると、彼女は一気に自らの胸を刺し貫き、またその首筋を深く深く切り裂きながら、湖の底目掛けて身を投げました。湖はこの悲しい若い女王を抱きとめると、その血を抱いたままやがてゆっくりと、すべてを飲み込みながら溢れていきました。




 その年は滅多に起こらぬ大洪水の年でした。世の果てから溢れ出た水はすべての河という河を満たし、それらは滅びの血潮を孕んだまま氾濫していきました。一族のあるものは石と化し、またあるものはその力を失い、多くのものが滅び去りました。
 一族の栄光も力もこの時から衰退の一途を辿り、遺された者たちはかつての栄光の時代を夢見ながら、細々と命数を削っていくことになったのです。
 やがて一族の記憶も曖昧になり、代わって短くとも力強い人間の社会が台頭し始めると、一族そのものが伝説の中に痕跡を残すのみとなっていきました。
 かつての能力もかつての夢も今は遠い昔となり、すべてのものが移ろいゆく理の中で、こうして一族の時代は過ぎ去り、代わって人間の時代がやってきたのです。




END



2007.09.16




 今回完璧にオリジナルっぽく。ハジも小夜も出てこないし。『BLOOD+』の世界観の中で、昔話をしてみたかったのです・・・。可愛らしい感じにして、もっと短い話になるはずだったのですが。何だかちょっと長くなってしまいました。しかも暗い!
 なんか、需要の無いものを書いているな~と思いつつ。すみません。文体を全く変えたものを書いてみました。
 おとぎ話として。こんな話があった・・・かも・・・・知れない。という感じで。もうBLOOD+とは関係の無いような物語で・・・。赤と青の瞳って、昔からとても好きでした。先日のSSの他にもう一つ。でも小夜ママとは違う、別人で。





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