カイからクリスマス・イブの招待を受けたのは12月半ばになってからだった。こういったイベントには必ず沖縄で小夜と出会った面々が呼ばれ、彼らもできるだけ都合をつけてそれに参加している。


「俺たちも集まりたいのさ。ま、格好の口実だってことだよ」
   カイは笑ってそう言ったが、3年しか目覚めていられない小夜への、それは負担にならないようにとの心遣いであり、少女はそれを感じ取ってわずかに目を潤ませたが、皆の温かな想いを感謝して受け止めることだけを考えようと思った。
「わかっているだろうけど、ハジも呼ぶんだぞ」
「うん」
   とは言うものの、ハジは小夜が皆といるときには遠慮してか中々姿を現さないことが多かった。それに――。ハジは食事を摂らない。だからハジが共にOMOROに行くことに同意したのが小夜には意外だった。今までずっと何も言わずに見守るだけだったのに・・・・。
「ほんとにいいの?」
「はい・・・・」
   だがカイはハジの姿を見つけると、やっぱりな、とにっこり笑って二人を出迎えたので、小夜はそのことにも驚いた。自分の知らないうちに二人が了解しあっていたようで、少女の胸の中に、何かもやもやっとした疑問の塊を生じさせる。だが疑問を形にする時間もなく、そのまま小夜はハジと二人、OMOROの店内に招きいれられた。
   その夜の集まりは今までにも増して、賑やかなものだった。香里、真央、デヴィッド・ジュリア夫妻、フランスからジョエル。奏と響もやってきてカイと久々の親子水入らずの何日かを過ごすのだとはしゃいでいた。何枚もの大皿。次々と作り出されていく料理。カウンターを隔てた厨房には店主であるカイとやってきたルイス。それにハジまでがひっそりとそこにいて、さりげなく手伝っていた。小夜はもっぱら料理を運ぶ役割を引き受けている。
   厨房の外にいる者も、内側にいる者も、等しく語り合うような、そんな大雑把で気の置けない楽しい宴会だった。そんな中、ハジがこちらを向いていない時を見計らってこっそりと小夜はカイに問いかけた。
「カイ。ハジが来るってどうしてわかってたの?」
「うん。そりゃ、おまえが来るからな」
「私が? だって、いつもは・・・・」
「もしも俺があいつの立場だったらどうするかって考えるのさ」
   そうすればわかる。それからさりげなく彼は続けた。今回で三回目だろ? その言葉に小夜ははっとした。気がついていた。三年しか起きていられない小夜の、もしかすると今回がおそらく最後のクリスマス・イブ。皆と過ごす最後の時。ハジは望んでいたのだ、その少女を目に焼き付けておきたいと。
   そのとき少女は突然わかった。自分もそれを望んでいた。皆と共にハジも一緒に過ごす時間を望んでいたのだと。
「お、おい。どうした」
「なんでもない」
   突然泣き出した少女に大の大人がおろおろする。だが少女は一瞬の後に涙を納め、微笑みさえ浮かべて顔を上げた。
「ごめん。ただ、嬉しかっただけ。皆一緒にいるんだなって。そして年数を重ねていくんだなって」
「そりゃあ、当たり前さ」
   かつての少年はくしゃくしゃと小夜の頭を撫でてかき回した。
「な、なに?」
「みんな、お前の中にある。お前の中に持っていけよ。俺たちゃ、ここで、待っているんだから」
   次の30年も、その次の30年も――。カイは翼手ではない。永遠の命もない。それなのに、その言葉が真実だと思えるのは、カイが語り継いでいく者だからなのだろうか。少しずつ、少しずつ、変化をしながらも。永続的に。そういう時間の越え方もあるのだと示してくれる。
   今夜はクリスマス・イブ。そのとき、カイの言葉は小夜の中で小さな灯火のように光り輝いた。


   その夜は小夜の中で一番賑やかな夜となった。



           * * * * *

   OMOROからの帰り道、小夜は少し遠回りをしてハジと二人で家路をたどった。クリスマス・イブ。賑やかな夜と想い出の欠片。遠くのその場所が離れていく。一足ごとに辿る道野辺。あの賑やかな場所から離れると、先ほどまでの時間の楽しさとの差が感じられ、少女は押し黙った。沖縄の人々との交流が心の中を温めているはずなのに。何か思いつめたような少女の顔はどことなく繊細で儚い。
   傍らを歩く少女の表情を感じながら、青年は黙ったままそれを受け止めていた。人々の間で受け入れられ、そこに幸せを見出しながら、それはカイの前では決して見せない、小夜のもう一つの一面だった。
   少女は無言だった。青年もまた。充足と憧憬。寂寞と物悲しさ。間に佇むこの道の静謐さ。天は百年前と変わらぬ星を抱き、少女の進む後ろにも、そして前にも細く永い道があった。
   不意に少女が足を止めた。
「道が暗いね」
   自分から遠回りをしようと誘ったと言うのに、小夜はぽつりとこぼすように囁いた。
「カイのところからの帰り道だから余計にそう思うのかな?」
   あそこは賑やかだったから。そう言って痛みを伴う憧れのように、後ろを振り返る。今は見えなくなってしまったが、一足先に二人を帰らせて、まだカイは奏や響と共に店の片付けに追われているのだろう。
   温かな想い出の場所。
「小夜」
   静かな声でハジが言った。言葉にせずに、あそこへ戻らなくてもいいのか、と。だが少女は首を振って青年を見上げた。
「ハジ・・・・。私、ハジが今ここにいてくれて嬉しいよ」
   言いながら、その寂しい目の色にハジは黙って少女を見つめた。無言の問いかけが宙に落ちる。たまらずに小夜は目を伏せた。
「カイの周りには大勢がいるんだなって」
   まるで独り言のようにつぶやく。
「あの場所も私の大切な場所。カイは、あそこで待っていてくれるって言ってた」
「はい・・・」
「嬉しかった」
   嬉しいと思ってしまう自分が悲しくて、後ろめたくて。でもきっとハジはそんな自分をも肯定してくれるから。同じ時を生き、苦しみを見つめ、ただいつまでも傍にいると言ってくれたハジ。すべてが終り、解放され、眠りを超えて、それは変わらないのだと示してくれたハジだから・・・・。
「でも・・・・。私が眠ってしまったあと、ハジは独りになってしまう」
「小夜。それは――」
   そして。
「それだけじゃないの。私は時間に置いてかれる。30年間、私の知らない何かを見て、私の知らない誰かに逢って」
   少女の声は震えていた。
「30年経って。カイも、香里も、謝花さんも。そしてジョエルさんも。確かに皆同じだった。同じように私の傍にいて、受け入れてくれて。でもやっぱり『あの時』とは違うの。成長と言うか、変化と言うか・・・・。変わらないところだってもちろんある。ううん。きっとみんな変わっていない。でも、だから、変わってしまったところ、『あの時』とは違ってしまっているところが私には良くわかるんだ。
   当然のことだって、わかってる。でも・・・・。私は皆と同じ時間を過ごせないんだなって・・・・」
   待っていてくれるとそう言われたからこそ、その眠りの後のことに思いを馳せる。時間の流れの辛さ。次第にずれていく距離への戸惑い。それらすべてへの怯え。
   百年の闘争の間、小夜の前にはディーヴァが在った。敵として。だが同じ存在として。ディーヴァを、ディーヴァだけを見つめていられたからこそ、時の流れの切なさも儚さも、小夜の目には瑣末なものとして写っていられた。どうしても訪れる30年の分断があっても。
   今と未来の狭間に落ちる、じりじりと胸を焦がす憔悴感にも似た切なさ。
「そして、ハジも・・・・」
   今まで一言も言ったことのない言葉だった。口にしてしまってからはっとする。
「ごめん・・・・。なんでも・・・・ない」
   自分を恥じるように少女はうつむいた。怪我をするとは思わずに手を出して、うっかり触れた刃物に傷つけられて驚いているように。言った本人が一番傷ついているようだった。
「忘れて・・・・。お願いだから」
   その睫毛が細かく震えている。
「小夜・・・・」
   青年はためらうように手を差しのばした。うつむいた少女の頬に触れようと。だが、そのとき少女が再び口を開いた。青年の手がぴたりと止まる。
「わかっている。どんなことがあっても、ハジは待っていてくれるって。何があっても。私が私でなくなっていても、きっと私を見つけてくれるって。でも――」
   淋しい・・・・。ささやくようにこぼす言葉に青年は何も言えなかった。初めて吐露した少女の中の不安と寂しさ。今までの小夜はそれを口にすることも、思い浮かべることさえもできなかった。少女の前にあったものはそれほど過酷なものだったのだ。自分の滅びる道筋だけを見つめ続けた少女。だが今。「生きたい」と口にし、再び目覚めたとき、それまでとは異なった事実が少女の前にあった。それは未来を選んだからこそ立ち現れる、少女の中の生きる時間の問題だった。
   この人生を選んだときに初めてわかることがある。もしも、目覚めたとき。ハジの目の中にいままでと異なったモノを見つけたら? 誰かがハジを心にかけ、ハジもそれを受け止めたら? 変わらないモノなんてない。30年の時間にハジの心に別の要素が入ってしまったら、自分はそれを受け止めることができるのだろうか。もしも誰からも待たれていなかったら――。 あるいは自分がそれを目指して眠りに就いたその瞳が、記憶の中の色とは別の色に染められていたら。心がついていかない。想像することすらできない。30年の長さ。
   翼手の女王の絶対的な孤独。置いて行かれる者の持つ恐怖に似た感情。今、小夜はそれを直視して怯えているのだ。それは置いて行く者、置いて行かれる者、どちらにもどうすることもできないことだった。
   だから眠りが、夜が怖い。こんなに怖かったことなんて今までなかった。
「小夜」
   不意に青年の手が少女の頬へ自然に触れた。
「私は変わりません」
   少女は目を見開いてハジを見つめた。戦火の夜も、ベトナムの夜も、ニューヨークの別れさえも越えてきたハジの瞳。それは確実に『動物園』の時代のそれとは異なっている。変わらないものなんてないのに。ハジ自身がそれを一番わかっているのに。
   それでも変わらないと言い切るハジの目を、少女はじっと見つめ続けた。
「どんなに変わったように思えても、変わらないものがあります。記憶の中に、あなたの存在の中に。永い間ずっと、私の心の支えになっていた言葉が私の中で生き続けてきたのは、だからなのです。夜を渡り、時間を渡るただ一つの手段。カイがその片鱗を見つけ、私がそれを胸に抱いているモノ。精神の中に確かに存在する手応え」
   ハジの視線が強い・・・・。
「だから。夜を怖がらないで」
「でも・・・・」
   それ以上言えずに小夜は黙って首を横に振った。誰にもわからない思い。分かち合えない悲しさ。それを見ると青年はわずかに目を細め、それから何かに気がついたように前を見つめた。
「小夜――。あれを・・・・」
   うながされた視線の先に、大きな天然の木があった。針葉樹ではなかったが、常緑のまっすぐに立つ大きな木。そこに大小さまざまな電極が飾られている。小夜たちの行く先に、目印のように耀いており、小夜は目を奪われた。
「あ・・・・。クリスマス・ツリー・・・・」
   綺麗・・・。と少女はつぶやいた。彼女たちの位置から見ていると、樹木全体にぼうっと灯火がかかげられて燃えているようだった。小夜は一瞬不安も寂しさも忘れて見とれていた。
   こうやって怒りや哀しみ。寂しさや孤独にさいなまれていても、不意に時間の中に現れる美しいモノに心動かされる瑞々しい感性を小夜は持ち続けている。それは時には少女の感じやすい心を切り裂くことにもなったが、それでもこの頑なな心の中に、長い時間、苦しい想いを抱いて歩き続けてきても小夜がその本質を曲げずにこられたのは、そういうやさしい感性ゆえなのではなかったろうか。
「夜を歩いているときに、不意に遠くの灯が見えるときがあります」
   少女の肩に触れるように身体の位置を変えながら、青年は静かな声で語りかけた。暗い道の向こう側でクリスマスツリーが光っている。
「それは希望の光にも、先行く不安や見えない未来への道しるべにもなり、足元だけではなく心をも照らし出してくれるものとなります。小夜――」
「なに?」
「昼間の光の中でよりも、それは夜にはっきりとこの目と心に焼き付けられる」
   だから。と青年は続けた。
「夜のすべてを怖がる必要はないのです」
「でも。ハジ・・・・」
「――あなたが眠りに就いている時間。私は決してあなたと離れている訳ではありません」
「え?」
「あなたの記憶が。あなたの想い出が。残り香が。私と共に常に在る」
「ハジ・・・・」
   それが自分にとって、30年の道しるべ、精神の中に存在する確かな手応えなのだと青年は言っているのだ。眠りの時にこそ、焼き付けられるその記憶。
「だからこそ、私はあなたが眠っている間も、あなたの一部で在り続けるのです」
   自分こそが、小夜が眠りに就いている間の存在の証明なのだと。
「でもハジ。それじゃハジは? ハジ自身はどこに在るの? 私がいない間も私だけのために存在するなんて」
   そんなことは間違っているような気がした。自分のためにすべてを捧げつくすように永い時間をともに過ごしてきたハジ。だからこそ、ハジ自身の時間を自分のために使って欲しいという想いが小夜にはあった。
「以前私は言いました。そこにあなたの姿が見えなくても、声が聞こえなくても、私にはあなたを感じることができると。まるで夜の中の灯火のように。
   しかし、それだけではありません」
   その蒼い目の強さに少女は見入った。ハジが続ける次の一言に。
「あなたの存在を私が感じ取れるように、私の存在もまたあなたと共に在る」
   それが長い永い道のりと、闘いと血の闇を潜り抜けてようやく理解した自分自身の在り方だと。そういう自分を選び取ったのも、また青年自身であるのだと。――その言葉そのものの強さに小夜は息を呑み、そして唇を震わせた。
   こんな風に言われる資格も、価値も自分自身にはないというのに。そのハジの心の強さがこんなにも心を震わせる。
「ハジ・・・・。私は・・・・」
   求めて求めてやまないモノ。有り余るほどに手渡されて。哀しみではない、喜びでもない、静かな感情の涙が少女の頬に伝わった。未だに過去の亡霊は少女につきまとい、自分自身の選び取った未来への道程に自信が持てない。それでも――。
   それは、未来を選び取ったからこそ存在する孤独でもあるのだ。それに怯えながら歩くことに対して、ハジが手渡してくれた応えがあった。時間を越え、運命を越えたところにある何か。夜の道筋に見える灯火のように。
   涙にむせぶようになりながら、少女は青年の胸の中に顔を埋めた。体温の無い、だが一番安らぎ、一番温かい腕の中で。確かに受け取るべき想いがある。そのことに心からの安堵とそしてある種の哀しみを抱きながら。今はこうしてハジの腕の中で、ハジの心を受け取ることが正しいのだと少女は思った。
(まるで、暗い道に浮かぶ灯火のようだ)
   眠りの時間、ハジの存在を目指して時間の道程を歩き続ける。それがこれからの自分の人生になるのかもしれない。ディーヴァとともに滅びる道ではなく。
   力強い腕の中で、小夜は静かに目を閉じて身体の力を抜いた。




   少女の華奢な肩を抱きしめながら、青年は少女の肩がようやく力を抜いたのを腕の中に感じていた。青年にはわかっていた。こうして小夜の心に寄り添いこの腕で抱きしめても、百年は長かった。少女の心が迷いと哀しみから解放されるまでに、まだ永い時間がかかるのだろう。たとえこうして一時の安らぎを与えられたとしても。
   だが絶望から「生きたい」と言った少女の言葉は、少女にもそして青年にも新たな生命の段階を運んできた。絶望はすでになく、でも希望の形がどのようなものなのかもわからず、少女の運命は形を失って少女自身に投げ掛けられている。青年の運命は少女と共に在り、少女の生命の輝きもまた青年と共に。未来がどのような形を取るのかわかっていなくても。それでも青年は希望を見続けているのだ。
   青年は腕の中の存在を確かめるように目をつぶった。希望という名の灯火に思いを馳せる。




   希望の形は少女の姿をしていた。――





END



2012/01/10(web小祭参加作品:2011/12/27投稿)

 2011年のクリスマス話です
   小夜が後ろ向きになってしまう、その意志をひっくり返すことと言うのは、思われている以上に難しいのではないか、、と私は思っておりまして。書いている最中も、か・な・り・力技を使わなくては小夜は中々頭を上げてくれませんでした。小夜が背負っているモノって重いというイメージ(ただし。テレビアニメでは、沖縄の小夜でしたので中々表にそれが出てこなかったような。。。)そういう部分を抑えすぎると、どうしようもなくなるので、それをどうしたら上向きにさせるかというのが書いていく時のポイントであり、苦労する点です。。。
   そして、カイといるときと、ハジといるときと、多分見せている顔というのは異なっているのでは、という部分を対比させて描こうとしたら、なぜかこんな構成になってしまいました。。
   まあ、作品やキャラクターに対する解釈は人それぞれ。私の解釈と言うのはこういうモノ、ということで。一つ、よろしくお願いいたします。。

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