22.

  至近距離なら翼手の皮膚をも貫く砲弾だった。マリエラの声を受け、とっさに青年はチェロケースを手放し、少女をかばって銃からその身を守った。新たな鮮血が飛び散る。
「ハジ!」
「大丈夫です」
   何事もなかったような青年の声に反して、小夜はぞっとした。青年の肩のあたりがごっそり持って行かれている。千切れなかったのが不思議なくらいだった。腕と肩の付け根をやられ片腕がほとんど利かない状態のまま、青年は少女の身体を押し戻すようにして翼手と支配人の両方から護ろうと身構えていた。自分の身体を一顧だにせず、その蒼い目は翼手を見つめたまま微動だにしない。自分の身体がどれだけのダメージを許容しうるか、どこまで動けるか把握している。そこまでになるのに、ハジがどれだけの傷を受けてきたのかを思い知らされて少女は唇を震わせた。
「さすが――」 支配人は感嘆の声を上げた。
「女王の第一騎士だ。その能力。その忠誠。大したものだな」
   知っている――?
   小夜ははっとして彼を見た。自分たちの正体をこの支配人は知っているのか。自分が翼手の女王であり、ハジが自分のシュヴァリエであると――。それならば、支配人は一体・・・・・?
「あなたは――誰?」
   確かに支配人から翼手の気配はしなかった。でも、それならばなぜ自分たちの正体を知っているのか。
「残念ながら、私は人間だ。あなた方の同族ではないが、あなた方があなた方であることだけはわかっている」
   支配人は低い声でそう言った。
「わたしたち・・・・」
「人よりも強く、人よりも美しく、人よりも尊いモノ」
『生き血を喰らう獣』、『生きている武器』。ずっとそう言われ続けてきた。人間より高き存在。今までにそんなことを言った人間はいなかった。
「なんで。なんで、そんなこと言うんですか!?」
   小夜は叫ぶように言った。生きていくのに、人間の血が必要だという宿命は変わりはしないと言うのに。それが辛いというのも変わらないのに。
「私にとって、あなた方はそう言う存在なのだ。知っておいた方が良い。そういう人間もいるということを」
   そんなのは、まるで・・・・。小夜は必死になってその考えを押しやった。支配人は人間だった。けれども人間にも翼手に魅了された者たちがいなかった訳じゃない。自然と思い浮かんでくるのは、最初のジョエルの記憶だった。そのために自分たちは誕生させられ、そして・・・・。
「支配人。あなたはミハイさんを・・・・。ミハイさんが翼手だって、知っていて・・・・。それにマリ・シールさんは――」
「翼手・・・・変わった呼び方だな。あなた方はそう呼ぶのか――」
   小夜は愕然となった。支配人は『翼手』という言葉を知らない。つまり、ディーヴァの一族とのことも、『赤い盾』のことも、まったく知らないのだ。自分たち以外の翼手の一族の可能性がこの言葉で明白になった。
「けれど小夜。あなたが来たから」
「私・・・・」
「あなたの、女王の存在が女王を目覚めさせた」
   あなたがやってきたから。そうあのときに夢の中で囁く声がした。
   だから、私は自由に・・・・。そう夢の女性は告げたのだった。夢と現実の境目がわからない。支配人の言葉。夢の言葉。もしも自分のせいなら――。すべて厄災の根源はこの自分に起因する。あのときも、このときも――。眩暈がする・・・・。
   小夜はふらつく足元をようやく踏みしめて立っていた。
「力が出ないのだろう?」
   支配人は言った。
「さもありなん。とでも言おうか・・・・。私たちの女王はあなたの力を享けて目覚め、今もあなたから力をもらっているのだから」
   私たちの? 力を享けて? まるでシュヴァリエそのもののような言い方だった。
「でも――。あなたは人間だって・・・・」
「確かに私は人間だ」
   誇らしげに、だが同時にどこか物憂げに彼は語った。
「騎士ではないが、人間の中にもあなた方を尊ぶ者たちがいたのだと説明したはずだろう。
   長い間、我々は世代を超えてそうしてきた。だがようやく。私の世代で、私は我々の女王を見出すことができたのだ。この地で――」
   小夜は言葉も出ないようすで支配人を見つめていた。
「そして導かれるようにして、今度は小夜。ついにあなたがやってきた。純粋な女王であるあなたが。
   最初はわからなかった。あなたはあまりにも普通だった。こんな奥地にまで観光に来たただの東洋人の少女だと私も思ったものだ。だが女王は女王を識る。――あなたがここに到着したとき、我々の女王はついに目覚めの時期を迎え、私は自らの本当の存在意義に立ち返ることができた。
   みんな小夜、あなたのお蔭だ。こんな、俗世に関わる利権と商才にまみれた世界から本来の仕事に立ち返ることができたのだ。感謝している。本当に、心から」
「マリ・シールさんは・・・・? ミハイさんは・・・・?」
   あの二人が最初から翼手だったとは小夜には思えなかった。いつ、どうして彼らは翼手になったのか。
「私は早急に女王にふさわしく、騎士を用意しなければならなかったからね。女王に仕え、女王のために捧げる。人間であれ、騎士であれ、それが女王に仕えるべき我々の使命なのだから。私には吟味している時間はなかった。従業員か客人か、どちらかから騎士を作り出さなければならなかったのだ。
   用意できたのは間に合わせの、どうにもならないような人間だったがね」
「そんな――」
   小夜は震え声で言った。支配人の言葉は、彼ら二人を貶めると共に、彼らが無理やり翼手にさせられたことを示していたのだ。
「まさか、あなたが・・・・。あなたが、二人を・・・・」
「そうだな」
   そして平気な顔でしばらく接していた。
「いいことを教えてあげよう、小夜。ミハイも、あの女性客も、ハジに似た黒づくめの姿を見たと言ったな。あれは私だ。私が彼らに薬を打ち、施術をしたときの記憶と、――恐らく騎士であるハジを無意識に感じ取っていたのだろうな――私とハジとを混在して記憶したらしい。二人ともにと言うのは面白いことではないか」
   やはり騎士の存在は特別なのだろう。そう嘯いて支配人は笑った。
「どうして・・・そんなことを・・・・」
「もちろん女王のためさ。女王を護り、女王の意志を叶える。それが女王の騎士だということはあなたもわかっているはずだろう?」
   支配人はちらりとハジを見ながら言った。
「マリ・シールさんも、ミハイさんも、そんなことのために・・・・」
「そんなことものため? 女王であるあなたがそのようなことを言うとは。――だが、そうだな。彼らももう少し適応できていれば、私と一緒に女王を仰ぎ見ることも、寿ぐこともできただろうに。残念だと思う。マリ・シールはもうほとんど変化しそこなったと言ってもいいし、ミハイもあの調子ならば恐らく、もう駄目だろう。人間の血を吸ってしまったときからおかしくなり始めたのだな。
   人間の血は思った以上の効力があるようだ」
   そうだ。確かにさっきミハイの変化した翼手も言っていた。血を吸ってしまったと。そして混乱していた。まるでミハイではないような言い方。そして行動――。小夜は自分の首筋を押さえた。ミハイだったらあんなことはしない。けれど、もしも血を吸ったことで記憶と人格を取りこんで別の人格がミハイの人格を凌駕してしまっていたら。翼手が、血を取り込んだ相手に成代わることが可能であることも小夜にはよくわかっていた。相手に成代わることができるほど相手を理解できるという事は、逆に取り込んだ相手の人格が強烈ならば、それに影響されることもあるのではないか。それとも、不合理に翼手にされたミハイだから、そんな事態が生じたのかもしれない。
   ミハイもマリ・シールも、そして血を吸われた者も、皆、翼手の犠牲者なのだ。どんなに人間を翼手にすることが罪深いことか、少女はかつての悔恨と苦しみを思い起こして胸がつぶれる思いだった。青い顔のまま、震える声を押し隠すように問いかける。
「あなたが――。どうして。どうして人間のあなたが平気で同じ人間を翼手にできるの?」
「同じ人間? 女王であるあなたが、面白いことを言うものだ。あなたがたにとって、人間は二種類いるものだと思っていたのだが――。すなわち、あなた方に仕える人間と、そうでない人間と。小夜、あなたはどちらも同じように言うのだな」
「支配人。あんたがそいつらに仕える側の人間だってことはよくわかったよ」
   ホイヤーが間に割って入った。
「あんたにとって、客も我々従業員も、単なる奴らに対する餌に過ぎなかったって訳だ。最初から――。あんた、何かあったら展示室に行くように言っていたのは、我々を奴らに喰わせようって魂胆だったんだろう」
「忘れてもらっては困る。私が、銃をもって皆を救ったんだってことを」
「違うね。あんたがここに来たのは、最初の想定とは違った事態が生じたからだ。ハジと小夜。二人がこの部屋へ来ることを、あんたは想定していなかった。だからみんなをここから遠ざけた。
   さっきの質問をもう一度、繰り返す。この部屋には何がある?」
「ホイヤー君。やっぱり君は優秀なんだな。だが優秀すぎるのも困り者だ」
   そういう人間は長生きしない。
「――あなたの女王は、どこです」
   それまで黙って聞いていた青年が、そのとき初めて口を開いた。
「ハジ・・・・」
   青年の肩先の傷は徐々にふさがり始めていた。血痕と破れた衣服だけを残して次第に肉が、白い皮膚が盛り上がっていく。彼ら自身の意志とは関係なく、まるで音を立ててその肉体そのものが自分自身を繕っているような急激な治癒。変化しているその両手と共に、それが彼ら翼手の特徴の一つだった。
「私の女王か」
   ハジの言葉を受けて、支配人がつぶやく。そのとたんに支配人の声が暗い響きを帯びたことに小夜は気がついた。
「女王の目覚めには時間がかかる。本当の姿を取り戻すまでには、一体どれくらいの時間がかかるのか――。だが、今はたとえ自由に動けずとも、我らに意を伝えるに完全とは言い切れなくとも、それでも私にとっては女王の存在は絶対的だ。そうだろう?」
「それはその女王の眷属だけのこと。あなたは人間じゃない!」
   思わぬ強さで小夜が言い募った。
「聞いていなかったのかな、小夜。私は女王に仕える人間だ。そしてこの部屋は、その約束の部屋なのだ。何かあったら、この部屋へ――。『何かあったとき』。私の女王が目覚めるにしろ、そうでないにしろ、必ず必要とされるものがなんであるか、あなた方にはわかっているだろう?
   人間だ。人間の生き血だ。それによって女王は力を得る。そのように伝えられていた。だから私は、万が一の時にはこの展示室に皆を呼び寄せようと、最初から決めていたのだ」
「じゃあ、どうして――」
「今更、皆をここから追い払ったのか?
   小夜あなたの存在だよ。どうやらあなたは思った以上に私の女王と相性が良いらしいな。彼女は急速に目覚めに向かって準備を始めてしまった。女王はあなたの存在によって目覚めを促され、とうとうご自身の意志であなたを求めていらっしゃるまでになった。だから大人しく閉じ込められていてくれればよかったものの。あなたがこの部屋にまで来てしまうから――。本来はもう少し準備が整うまでゆったりとされていただきたかった。騎士の準備も不首尾に終わって、これから他の者たちの中から選び上げ、その上で食事も何もかも用意できればよかったのだが仕方がない。だから私は他の者たちをここから遠ざけなければならなかったのだ。
   完全な女王への捧げものは小夜、あなた以外には存在しないから。確実に女王を目覚めさせることができるのは、女王だけだからね」
   残念だよ、と再び支配人は言った。
「今この時に、すべての準備がなされず、ミハイすらもまともとは言いがたい状況になってしまっているとは。
   だがご覧、小夜。あなたも女王ならば、私の女王の栄光。その片鱗だけでも観ておいた方がいいだろう。どんなの女王が輝かしい存在なのか。代々の私たちがどんな想いで彼女を待ち焦がれてきたのか。
   ここには在りし日の彼女の姿の映し身が数多く残されているのだ。どんなに彼女が優雅だったか。美しかったか。完全というのは彼女のために在るような形容だ。
   さあ。あなたも見知っておくんだ。 もうじき彼女は完成された存在になるのだから」
   小夜ははっとして周囲を見回した。確かに、ここには肖像画が多いと思っていた。世代をまたがって、それぞれの時代に流行の装束を身につけ、だが同じ顔、同じ背丈。同じ年頃の女性の肖像。
   どうして気がつかなかったのだろうか。先祖代々などではない。あれは同一人物だったのだ。
「私は何よりも感謝しているよ。あなたがやってきてくれたことに。同じ種族の女王。始祖としての能力。そう――。あなたの能力も、そしてまたあなたの生命も捧げられるべきもののひとつなのだ」
「私が・・・・」
   一番最初、夢の中で。あの女性は言ったのではないか。
(友人ならば歓迎いたしましょう。だが敵ならば、虜にせねば――)
   あれはこういう意味だったのか。力の入らない足を必死に奮い立たせて小夜は支配人をにらみつけた。
「そんなことのために――」
   マリ・シールは、ミハイは翼手にされたのか。人間を翼手にすること。その禁忌。自分たちの存在の中に内包されているその事柄こそ、もっとも小夜にとって嫌悪すべきことであり、かつて背負っていた罪科の象徴のひとつだった。
「そんなこと? だがあなたも女王なのだろう。その証拠にあなたも自分の騎士を持っているではないか」
   その言葉に胸の真ん中を射抜かれたようだった。かつてほど身を切られるように切実は痛みは薄らいだとは言え、小夜の中にそれは消えずに残っている。それだってハジがすべてを受け入れて、長い時間をかけて少しずつ抱き留めるように示してくれたから、ようやく受け入れられたことなのだ。
   だが――
「来ます」
   突然上がった咆哮に周囲の空気がびりびりと震えた。ハジが自分の身体の後ろに押し込むように小夜をかばう。もう既に人間の言葉は届かないようだった。真紅の目に狂ったような凶暴な光が灯されている。
「ミハイさん!」
   小夜は必死で叫んだ。もしも声が届くのならば、元に戻ってほしかった。だがミハイの身体はとっくに正気を手放していた。再び咆哮が上がる。そのときだった。
「ミハイ!」
   それはマリエラの手を振りほどいたダーナの声だった。
「家に帰るんでしょ? お土産を買って帰るんだって言っていたでしょ? みんなが待ってるんだよ」
   多分ダーナにももうわかってしまっているのだろう。ミハイが二度と元には戻れないことが。
「危ない!」
   ミハイだった翼手がダーナを襲う寸前に、小夜は床を蹴って翼手に襲い掛かっていた。斬り落とした刃が鋭い爪にはじかれることも覚悟の上だった。薙ぎ払われて、その風圧にわずかによろめき少女は再び息をついた。
「小夜!」
   ダーナがイヤイヤするように首を振って何歩か下がる。その肩をマリエラがしっかりと抱えてさらに下がっていくのを確認し、小夜は大きく息を吸い込むと再び翼手に向かって剣を構えた。
「あなたでは無理です」
   支配人がこちらも首を振りながら言った。
「あなたは女王であり、騎士ではない。たとえ紛い物でも騎士は騎士。第一そんなに衰弱して、戦えると思っているのかな?」
   だがそこへ再びハジが割って入ると、彼は黙って一歩下がった。騎士の能力を知っているのだ。騎士の力は女王を守るため。そして、それゆえ女王の力は騎士のそれに劣っているのだと。
「これはこれは」
   と彼は皮肉な口調で笑った。
「女王と女王の第一騎士。実物にお目にかかれるとは。私は満足だ。たとえ自分の主でなくてもね」
   昔ミハイだったモノが同意するように再び吼える。
「もう・・・・やめて。ミハイさん・・・・」
「無駄です。彼は騎士になり、そして人間の血を味わってしまった」
   小夜にもわかっていた。今では恐らく正気を手放し、力だけに狂ったような存在になってしまっている。
「今、貯蔵室に横たわっている死体――。あれは彼が最初に求めた獲物だったのだ」
   小夜に目をつけ、やたらとちょっかいを出してきた客だった。舐るような目で少女を見つめていた。その人間が吸血の対象になっていたとは。飲み干した人間の記憶・性質をそのまま受け継ぎ、それを増幅させたミハイは自分でも自分の中の翼手を制御できなくなっていたのだ。眠っていた残虐性を揺り起こされ、まるで別人格のように振る舞い、異なる女王種である少女を傷つけた。そして人間の姿に戻ったものの、再び渇きに耐えかねて翼手の本性をむき出しにしたのだった。
「おかげで大騒ぎになってしまったな」
「そんな・・・・」
   その状況よりも、なにごとでもないように語る支配人の淡々とした態度が恐ろしかった。どうしてそんな風に言えてしまうのか。支配人のやせて硬くなった細い顔がほの暗く笑っているように見える。
「同じ人間でしょ? どうして・・・・」
「あなた方種族に魅せられる人間が存在する事はあなたも知っているはずだ。でなければどうして騎士など存在するものか。だが中には人間でありながら、騎士とは異なった形で女王に仕える人間たちも存在したということさ。
   誇っていいのではないかな?あなた方はそれほど魅力的な一族なのだと」
「違う――。私は知っているもの。私たちがどんなに寂しい種族かっていうことを。起きている時間が短いから、近しい人たちは私が眠りに就いている間に皆いなくなって。ハジは独りになってしまう。どんなに人間が恋しくても、自分が生きるためにはその人間の生き血を摂らなくてはならない。
   あなたは人間だもの。時を超えることもない。人間の血を摂らないと生きられない運命に苦しむこともないのに」
「だからこそ、です。だからこそ私の一族は代々女王に仕えることを望んできたのだ。自分たちが到達しえない至高の存在に」
   女王に跪かぬものは存在する価値がない――遠い昔。誰が言った言葉だったろうか。支配人は言葉は違っているものの、同じことを言っているのだ。
「人間なのに――」
「人間だから」
   自分を超えた存在を望むのだという声を、小夜は深い絶望の中で聞いていた。









以下、続く。。。



2012.07.06

  怒涛の修正更新+新規更新。。大変申し訳ありません。19話~21話まで改訂しておりまして、かなり話を途中で切っております。おきて破りとは重々承知しておりますが、どうしても修正しなければ先に進めませんでした。。。前回と重なっている部分もあるかと思われますが、再度20話位からご確認いただけましたら幸いです。。
   ラストに向けて。。
   頑張ります。。。。。

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