14.

   「やっぱりヒーターの方もダメです。これはいよいよ電気系統の大元が死んでいる可能性が大でしょう。多分、予備電源もイカレテいる」
「そんな・・・・」
   蝋燭や簡易照明などを用意しているとは言っても心許ないモノであったし、電気系統すべてがダウンしてしまえば、磁気の影響がなくなったとしても、どこにも連絡できず気象の情報も来ない。
「ブレーカーを入れ直して、システムを再立ち上げすれば」
   ホイヤーが言った。このフロント係は建物の構造を熟知しているようだった。
「そうだな・・・・・」
   だが誰も行こうとは言わなかった。今、この食堂と厨房を離れて単独で行動するにはどんな危険があるか・・・・。
「私が行きます」
   はっきりした声で小夜は言った。最初から、ここで何かが起こったら、自分が前面に出るつもりだった。ここに翼手がいるのではないかとわかったときから。
「システムのこと、どうすればいいのか教えてもらえれば。一人ででも」
「だが、君は・・・・」
   流石に支配人はためらった。とても一人では行かせられない。それに彼には青年を拘束しているという後ろめたさもあった。かと言って指示を出している彼自身が行くわけには行かない。ホイヤーの方をちらりと見ると、一瞬目を背けたのは恐らく行きたくないのだろう。だが――
「俺が一緒に行きますよ」
   ミハイが名乗りを上げた。
「俺なら、ホイヤーさんから電気システムのことを一通り聞いているし、詳しいことはわからなくても電源復旧させるくらいなら・・・・」
   地元から雇用したうちの一人で、外から来たホイヤーや料理長に対していつもどこか引け目のようなものを感じているようなミハイが今回は積極的だった。先ほどまで気を失った後遺症なのか、行動にも覇気がなく、ようやく起き上がって動いているようだったミハイがこんな風に発言するのが意外だったのか、ダーナが目を見張っている。娘さんがいると言っていた。だからダーナや小夜に親切なのかもしれない。守るのは私なのに、と小夜は思った。一人でもいいのに。
   だが支配人はすぐに応じた。
「わかった。頼もう」




   照明が完全に落ちたとき、食堂に居た皆は大きくざわめいたが、私は奇妙に冷静だった。ついに来るべきものが来た、と私は思っただけだった。今までよく持っていたほうだ、と。それまでも電気の供給は十分不安定だったし、いつ途切れてもおかしくない、そんな状態だったのだ。それでも真夜中までにはまだ間があり、今、この状態でのあまりありがたくない状況に、私は舌打ちしそうになったが、すぐに厨房から従業員が何人もやってきて、暖炉に薪を足し、いくつかの蝋燭を足していった。あの支配人はしっかりしている。やせぎすの、やや暗い色の目をした彼の姿を思い浮かべながら私は思った。
   従業員の中には小夜やダーナの姿もあった。まだ若すぎるくらいなのに、こんな状況に巻き込まれてしまって、私は彼女たちが気の毒でならなかった。だがそのうちに様子がおかしくなった。小夜が一人だけ、食堂側に残ってあのフロント係――確か、ホイヤーとかいう名前だった――からいくつか注意を受けている。そのうちにもう一人、マリ・シールの前に倒れて私が見つけたあのミハイという従業員がやってきて小夜の傍らに立ったのだ。
   その姿がハジではないことに違和感を覚える。私は以前の印象的な二人の姿を思い出していた。この冬の嵐がやってくる前。雪の中に二人して立っていたあの二人の姿を。私から見れば、まだまだ子供に近いほど若い二人だったが、なぜか年齢には合わない悲しい美しさを持っていた。
「小夜!」
   私は声を掛けずにいられなかった。その小夜の姿にどことなく胸騒ぎがしていたし、ハジが監禁されている今、小夜が他の人間と何かしようとしていることにどうしてか不自然さを感じていたのだ。
「何があったの? どこに行こうとしているの?」
   我ながら、おせっかいだと思った。まったくどうしてこの娘のことがこんなにも気になるのか――。けれども私はすでに自覚していた。小夜の姿を見ると自分の娘のことを思い出してならないのだ。
「マリエラさん」
   小夜は安心させるように微笑んだ。
「多分、電気系統の故障なんだそうです。私、見に行ってこようかと思って」
「こんな時に。危険だわ」
「一人じゃありません。ミハイさんもいるし。ちょっと地下まで行って、戻ってくるだけですから」
   まったく、ここの支配人は何を考えているのか。またしてもこんな女の子に、そんな仕事をやらせるなんて。そう思いながらも小夜自身の無防備さも気になっていた。こうしているとまるで危険なんて考えていないように見える。なんて自分に対して無頓着なのだろう。ハジがいないから余計にそう思わせるのかもしれない。
「小夜。あなたが行くことはないわ。誰か身体の頑丈な男性だって何人もいるじゃないの」
「私が言い出したことなんです。行くって。だから――」
「じゃあ、私も行くわ」
「マリエラさん?」
「お客様!?」
   小夜とミハイが同時に声を上げた。だが私もこうなっては引き下がれない。
「行って戻ってくるだけなんでしょう? それならば私が一緒に行ってもいいんじゃないの? 二人より三人。不測の事態が起こりうるときの鉄則よ」
   小夜は言葉もなく口を開け閉めしていたし、ミハイは明らかに迷惑そうな顔をしていた。だが構ったものではない。私は決めたのだ。こういうとき、言い出したことを押し通すと言うのは私の長所でもあり短所でもある。だから私はこの年になって家族と言うものにほとんど縁がない訳だし、それでもこうして細々とでも雑誌の仕事をもらって生活していけるという訳だ。
「いいわよね?」
   そう言うと小夜は困ったような顔をしてミハイと顔を見合わせた。
「支配人に訊いてみないと・・・・」
「そんなことする必要はないわ」
   私はにっこりとほほ笑んだ。
「誰の許可があろうとなかろうと、私はあなた方についていくだけですから」
   小夜は目を真ん丸にして私を見ていたが、やがてもう一度ミハイと顔を見合わせてから二人とも私の主張に折れて、不承不承うなずいた。
「じゃあ、はぐれないようについてきてください」
   小夜と私がライトを持ち、ミハイが工具を持って普段は使われていない階段を三人で降りて行った。原始的な、近距離のみ電波が届く受信機で小夜は厨房と連絡を取っている。建物の内部はミハイが良く知っているようだったが、念のため一つ一つの場所を確認していた。それでも二人とも足が速く、私ははぐれないようについていくので必死だった。自分の年齢を感じるのはこういう時だ。だが足手まといにはなりたくない。
   地下にたどり着いたとき、私は驚きのあまり言葉もなかった。どこにこんな設備を隠していたのか。そう思えるほど近代的な構造だった。大がかりなコンソール。機械音痴の私には訳の分からない機材。ところどころ、電気が走っているようだが、一部は暗くダウンしている。電源システムはこんな大がかりなものなんだろうか。それともあまりに大きすぎて、不安定なのだろうか。小夜も驚いていたようだったがミハイはこれらを見知っているようで、小夜や私を促してブレーカーらしきものの所まで引っ張っていった。そこで工具を床に置くと、私からライトを受け取ってブレーカーシステムの一部に向かった。ほとんど暗がりの中、タッチパネルが二重にセキュリティをかけ、電子信号が三次元投影機の中を乱舞している。ミハイがブレーカーシステムと格闘している間、小夜はセキュリティーキーを入力してコンソールの様子を見ていた。安全装置がいくつか働き、今まで正常に動いていた部分も次々に電源が落ちていく。そうやってすべての電気を落としてから初めて、原始的なブレーカー装置にまで手が届くのだ。
   最後の一つの電気が落ちると、それまで薄ぼんやりと灯っていた明りも消え、辺りは一瞬真の闇に閉ざされる。
「小夜? ミハイさん?」
   目つぶしを喰らったような闇の中で、私は目が見えないと言うことは、平衡感覚をも失われるのだと言うことを身をもって体験していた。どこかにつかまっていないと身体全体がぐらぐらして倒れてしまいそうになる。非常灯の小さな灯りがそのときようやく点いたので、私はほっとした。
「マリエラさん、大丈夫ですか?」
   小夜は持っていた小さな電源をこちらの方へ向けてくれた。
「良かった。ちょっと待っててくださいね。今、ブレーカーを入れ直してみますから」
   小夜がコンソール横のブレーカーに向き直ったそのとき。光の届かない隅の方でどさりと何かが倒れる音がした。同時にミハイらしき男性のくぐもったうめき声。はっとなって小夜がそちらへ光源を向けたときには、何か物を引きずるような音と共にそこにいたであろうミハイの姿が完全に消え失せていた。
「ミ、ミハイさん・・・・」
   何が起こっているのかわからないまま、私は声が震えるのを抑えることができなかった。
「マリエラさん! こっちへ」
   強い声で小夜が叫んでいる。わずかな距離が、遠く感じるほど身体は重く、ゆっくりとしか動かなかった。本能的な恐怖。それが血管を凍りつかせ、透明な鎖で私を縛っているようだった。
「マリエラさん!」
   小夜の悲鳴のような叫び声を最後に、私は頭に衝撃を受けて、何もかもわからなくなっていた。




   それが姿を見せたとき、小夜はとっさに左手を握りしめるようなしぐさをした。随分昔。その左手には朱の鞘巻き、黒塗りの特殊な剣が握りしめられていたものだった。
「翼手・・・・」
   間違いなかった。あのとき、ダーナと小夜を襲い、武器庫で対峙したあの翼手だった。少女の血が効かない翼手。異なる女王の騎士。その足元に倒れ伏しているマリエラを見、ミハイの姿が見えないことに不安を募らせ、それでもこの地下にはもう誰もいないことに小夜はほっとしていた。翼手の意識を自分に引き付けることができたら、二人は無事。そして自分自身もその翼手としての能力を、誰にも見とがめられずに使うことができる。
   翼手の赤い目をにらみつけながら、小夜はじりじりと後退した。コンソールの近くでは駄目。もう少し出入り口に近いところでないと。だがそれは相手の後ろに位置している。小夜は持っていたライトの光源を最大にして翼手の顔に向かって投げつけた。と同時に地面を蹴る。翼手がライトを払いのけるのと、小夜が翼手の肩を蹴って、その後方へ着地したのは同時だった。
   いつの間にか少女の手には、機材の一部から剥ぎ取った金属片が握られていた。気休めにしかならない。だが無いよりはましだった。じりじりと扉の方へと後退しながら、小夜は翼手の瞳から決して目をそらさない。そうして自分自身に注意を向けさせながら、入口の方へと誘導する。マリエラも、ミハイも、そうすれば助かるのだと心に思いながら。
   翼手の目には面白そうな光が瞬いていた。薬害翼手のように知的能力が低い訳ではない。むしろシュヴァリエたちのように、高い知性を感じさせる目だった。
『シュヴァリエを倒すには首をはねるか、炎で焼き尽くすか――』
   いつか聞いた言葉がよみがえる。だが少女の手の中にあるのはただの金属片に過ぎなかった。これがディーヴァのシュヴァリエならば、自分の血が絶対的な弱点となっただろうに。それでも取りうる最良のことをするしか少女には手段がなかった。
   再び少女は自分の手のひらを金属片で傷つけ、それを真っ赤に染め上げると翼手に向かって駆け出した。懐深く入り込み、心臓部に打ち込めば――。だが今度はそうはいかなかった。少女が内側に入り込む前に、翼手は軽く手を上げて少女を横殴りに払いのけた。勢いよく華奢な身体は真横に吹き飛び、コンソールではなく地下の建築材がむき出しになっているところへ背中から当たって下に落ちる。
   一瞬息ができなかった。少女は咳き込むと、再び金属片を握りしめ立ち上がった。その足元が揺らいでいる。原因不明の消耗が再び少女を襲っていた。身体から気力が抜け落ちるようで力が入らない。小夜は目をつぶって頭をはっきりさせるように首を振ると、こぶしを握り締めて翼手をにらんだ。その目が次第に赤に、対峙している化け物と同じ色に染まり始める。翼手としての本能が、少女の身体に立ち上がってきた証拠だった。
「守らなきゃ。私が守らなくちゃ・・・・」
   うわ言のようにつぶやきながら、少女は頭の中が怒りと闘いへの純粋な希求で一杯になっていくのを感じていた。ふつふつと身体中の血が燃え滾ってくる。あの闘いの日々。怒りと哀しみの記憶。真紅の瞳のまま、小夜は翼手に向かって再び駆けた。相手の目が嬉しそうに細められる。まるで恋人からの抱擁を待つように。小夜が襲いかかってくるのが嬉しいと言うように。そのとき
「小・・・・夜・・・・」
   小さな声が聞こえた。
「マリエラさん!?」
   たちまち現実に引き戻される。相手に対する心配に足を止めたそのとたん、少女の身体から昂揚感が抜け落ちた。先ほどまでの翼手に対する怒りに満ちた昂揚感が消えうせると共に、高まっていた体力の熱そのものが瞬時に冷え切る。
「あ・・・・」
   どっと消耗感が襲ってきた。足元からがっくりと力が抜け落ちる。その瞬間を翼手は見逃さなかった。今度は自分の方から少女に向かって突進する。巨体の割りに俊敏な動作だった。襲い掛かってくる巨体を紙一重でようやくかわした少女の頬には、一筋細い傷が浮かび上がっていた。翼手の鋭い爪が掠めたのだ。今までどおりには行かない。小夜は瞬時に意識を切り替え、手に持っていたささやかな武器を握り締める。マリエラ。ミハイ。今、守らなければならない者が小夜にはいるのだ。だが翼手はそんな小夜を嘲笑うかのように、たちまち距離を詰めて少女に襲いかかり、華奢な身体を掴み上げるとそのまま投げ飛ばした。薬害翼手ではない、シュヴァリエのように自分の能力すべてを把握し、それを制御すべく翼手の能力を解放しているこの異形の者は、反応速度、筋力ともに女王である小夜のそれを上回っていた。加えて小夜は今、どこかに力を吸い取られたように弱っているのだ。翼手に比べれば極軽い小夜の身体はほとんど抵抗らしい抵抗も出来ずに投げ出される。今度は地下室の外。階段のあたりだった。
   少女の身体が落ちたのを確認して、ゆっくりと翼手は戸口から出てきた。人間よりも一回り以上も大きな身体が、狭い戸口から外へ出る。起き上がろうともがく小夜の少女そのものの身体を持ち上げ、値踏みするようにじっとりと上から下まで眺めまわす。それはまるで見ることそのものによって舐るような、粘着性のある視線だった。獲物を見つめ、食する直前に鑑賞するように。
   翼手の片腕で吊り上げられた少女が苦しがって、その腕から逃れようともがいているが、びくともしなかった。それをひどく残酷な悦びをもって眺めながら、翼手はもう一方の腕を持ち上げると、少女の首元へと鋭い爪を当て、首から胸へその身体を覆っている衣服を紙でも裂くように切り裂いた。布を切り裂く鋭い音。
「!」
   思わぬことに少女が一瞬息を呑む。肌が外気にさらされて自分自身に何が起こっているのか、あるいは起ころうとしているのかを少女は知った。逃れようとなおももがく少女を押さえつけ、華奢な首筋と片腕を器用に固定する。肩と胸を覆っていた布がはらりと落ち、少女の首筋のなだらかな線を、透き通るような馨しい肌を明らかにした。その瑞々しさに満足げに目を細めた後、翼手はほっそりした少女の首に顔を近づけていった。
   生臭い息。翼手の欲情の吐息を感じ取り、少女は別種の本能的な恐怖に身をよじった。圧迫された喉から小さな喘ぎ声が漏れ、怯えたように逃れるように首を左右に振ろうとする。だががっちりと固定されたその腕が、動くはずもなかった。女王の力はシュヴァリエのそれには劣る。見せつけられて、少女の顔が嫌悪に歪んだ。それでも少しでも遠ざけようと弱々しく足が宙を蹴る。
   それは容赦なかった。冷たく濡れたナメクジのような舌が肌を這い、少女の肌を楽しむ。嫌悪に肌を粟立たせられたあと、なめらかで冷たい牙の感触があった。獣めいた荒々しさ。ぞっとした。吐き気がする。それは少女の肌を、ゆっくりと、味わうように突き破り、肉と血管に侵入してきた。無理やり肌を貫かれ。血液ごと生気が吸い取られていった。自分自身の生命の温かさが吸い上げられ、流れ出していく。代わりに与えられるおぞましい感覚。痺れるような、苦痛に近い何か。感覚が搾り出される。そうしてその感触はそのまま少女の背筋を通り、冷たい衝撃で少女の身体の奥深くを貫いた。小暗い感覚。淫靡な翳り。少女の背が無意識にたわんだ。汚泥が背中を這いまわる。
   たまらずに少女は絶叫した。
「い、や――!」
――ハジー!!!――








以下、続く。。。



2012.02.24

  今回は何のコメントもできません。。。無理やり展開ですみません。。そして、小夜。ごめんなさい。今回と次回が一番辛かったり。
   でもこの回から、自分の脳内では怒涛の展開・・・・なんですが、力が足りなくて自分が観ている脳内映像の半分も描ききれない。。すみません。
   そしてまだまだ終わらない。。涙。おそらく、23話か24話で終了になる・・・・と思われます(長くなることはあっても短くなることはない。。。という状況です。)

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