【4】
  翌朝、人々が起きだしたとき、すでに嵐は遠くに過ぎ去っていたが、発掘現場の周辺はその爪痕のむごたらしさを如実に物語っていた。危惧していたとおり嵐に砕かれ、大きな木の幹に圧しつぶされて粉々に砕けた欠片にはあのすばらしい像の面影を残すものなど一つもない。まだ評価はくだされていない、だが明らかに世紀の大発見だったものが人の手の届かない所へと去っていったのである。それでも何か欠片一つ無いものかと総出でさらってみたものの、あまりの嵐の激しさにすべてが押し流されてしまっていた。130年ぶりの大きな嵐であったという。
   もしも掘り起こされていなければ、あの石碑はそのまま無事だったのだろうと思うと一同皆複雑な思いに駆られていた。
「夢を見ていたようだったな」
「あれは・・・。本当に、この目で見てなくては信じられない」
   嵐の後の暑い日ざしの中での作業は誰にとっても厳しいものだった。嵐に壊れて流されてしまったからと言って、放置することもできず、最終的な痕跡を求めて彼らは最後の調査を行なっていた。一夜明けた嵐の後は、雲一つない、じりじりと炙られるような炎天になっている。
「せっかくの機会だったのに」 まぶしそうに目を細めて、汗を拭った少女に話しかけてきたのはあの調査隊の責任者だった。
「残念だったな」
   あの石像が発見されたのは、元はと言えば少女が最初に見つけた土器がとっかかりとなってのことだった。彼はそのことを言っているのだ。少女はなぜか申し訳なさそうな顔をしながら、首を振った。
「そんなことないです。とても忘れられないできごとが一杯で、私も楽しかったですから。自分の予感が当たったみたいで嬉しかったし。もうすぐ私たちは行かなくちゃならないことだけが残念です」
   少女たちがわずかな期間、同行する予定だったことを彼は改めて思い出した。
「あんたたち二人とも、よく頑張ってくれたよ」
「そんな・・・・。本当に初めてのことばっかりだったから。色々と教えてもらってやってみるって面白かった。ご迷惑もかけてしまったけれど、私は楽しかったんです。こういう世界もあるんだなあ、とわかって・・・・」
「あんたたちがいてくれて、助かったよ。本当に」
   思ってもいなかった言葉に少女はまぶしそうに目をしばたいた。
「ここでのこと、私は忘れません」
「我々にとっても忘れられない出来事だったよ。こうしていると、本当にあったものなのかも疑わしく思えるくらいになるのに、記憶にだけは鮮明に残っているというのもおかしいものだがね。
   あの像は、なにもかもが不思議だった。あの技術も、嵐に奪われたことも。一瞬本物の人間が閉じ込められているのかと思ったことも――」
   記憶の中に想いを馳せながら彼は語った。この人は自分で思っている以上に真実に近いことを言い当てていると小夜は思った。あの悲しい像。ほんの一瞬だけ、人間の目に触れたあの像。
「雷雨のさなかだったせいか、写真もまともに写されているものがなかったから。あの石像はあの場にいた人間の記憶の中だけにあることになるな」
   よかった。と少女は思った。写真にまで手を触れなくても良いと思うことは、何かしらほっとすることだった。同時にそれはとても翼手に相応しいできごとだったように少女には思える。ひっそりと、伝説の中に消えていく存在。それが翼手という種族なのだろう。
「もう一度、見つけ出したいと思うよ」
「え?」
「あんな風に不思議なもの。過去から語りかけてくる残り香。もしかすると、どこかにあるかもしれない手がかり。過去からの小さな欠片で、夢の楼閣を想像し体系立てて積み上げていく。そんなささやかな学問なんだよ、考古学というのは。そして我々は心のどこかで今回のような不思議な発見を夢見る。そうやって発掘し続けるのだと思ってくれていい。それが発掘調査隊というものなんだ」
「でも、だって。見つかる保証なんてないのに」
   そして。もしも見つかりでもしたならば、自分は今回と同じことをきっとするだろう。何回も、何回も。あの『二人』は、確かに自分たちを呼んでいた。今ではそんな風にも思える。人間たちに見つかってしまう前に。同じ翼手の女王の手で跡形もなく消滅したいと。そう願って。
「保証なんて、いつだってないさ。考古学なんて、夢の中を歩きながら現実を掘っていくようなものだからね。やっている人間は概して人付き合いは悪いし、ぶっきらぼうだし――。だが夢見る力だけは大きい」
「夢・・・・」
「興味があればまた来るがいい。あんたたちはまだ若いんだから時間はまだまだある」
   まぶしい言葉に小夜は思わず目を伏せた。時間は自分達を置いていってしまう。永遠に止まった時間の中で何ができるというのだろう。そこには明日がある。希望もあるのかもしれない。だが夢は・・・。
不意にあの『二人』の姿が、遺跡に遺されて共にしっかりと抱き合ったまま石化していたあの『二人』の姿が目に浮かんだ。どこか夢見るように遠くを眺めていた姿。
「『あの人たち』も夢を見ていたのかな?」
「そうかもしれないな」
   男はそう言ってそのまま立ち去った。一瞬、遠くの記憶に思いを馳せるような目をした少女の肩を、いつの間にか入れ違うかのように傍らにやってきた青年がそっと抱き締める。
「ハジ・・・・」
   もしかするとこうしてハジと二人、夢のようなものを見ることも許されるのだろうか。物事はあまりにも儚くて、手の中に溶けてなくなる春の雪のようだった。
「夢なんて、私にはわからない・・・・・」
   ぽつりと少女がつぶやく。短い活動期とその後に続く長い休眠期。生きていることそのものが、小夜にとってはなんと不安定なものなのだろうか。次の目覚め、そのまた次の目覚めに、待っていてくれる人はあまりに少ない。夢の手ごたえがわからぬように、少女にとっては生そのものの実感がひどくあやふやなものに感じられることがあり、そんなときの少女は、否定したはずの滅びの世界を覗き込んでいるような目をする。青年の瞳に憂いが宿った。心を込めて少女をかき抱き、その熱情で少女を彼岸の岸へと導いていったとしても、触れ合うことで存在の確かさを与えたとしても。少女の持つ根源的な悲しみは未だに癒えない。それは少女の宿命とも運命ともなって、少女を苦しめているものだった。
   暖かな想い出は確かなものとして小夜の中にある。けれどもそれだけでは足りない。百年は長かった。あの石像の示していた儚さと悲しい運命は、それを手にかけた小夜自身にもその時の記憶に列なる虚ろな感情をもたらしていた。
「『あの二人』が見ていたものは、『彼』の見ているものとは違っています」
「え?」
「『あの二人』が見つめているのは過去の夢。今、この世のものは何も映っていませんでした。彼らは彼らだけの世界へとうに行ってしまった」
   ハジはどこか遠くの空を見つめるような目をしており、ふと小夜は青年が自分を置いてその見つめている遠い先に行ってしまいそうな不安に捉われた。
   時間と運命と、自分たちの間に横たわっているものの不確かさ。
「けれども『彼』が見ていた夢もまた違っています。『彼』の見ているものは希望と期待の綯い交ぜになった、だが今という時間にはなんの確証もないものです。それは『彼』にとって生きることに必要かもしれない。だがそれだけでは生きてはいけないモノ。短い時間を生きていく人間が見るものです」
   手を差し伸ばしたい、と少女は思った。このわずかな距離を埋めるために。それなのに、その距離が遠い。足元から崩れそうな不安と哀しみが少女の身体を取り巻いて、動けなかった。
   そのとき青年がその瞳を巡らせて少女を見つめた。
「人にはそれぞれの時に、それぞれの夢があると言います。過去ではなく、不確実な未来でもなく。過去を受け入れ、未来を見つめるために。 そのための夢が今のあなたには必要なのでしょう」
   青年の手がやさしく少女の頬に触れる。動けなかった少女の頬に――。
「ゆっくりで良いのです。小夜は小夜の夢を。その在り方を見られるようになればいい」
   ハジの言葉は時折まるで感情がこもっていないような低いささやきに聞こえることもある。だが小夜はそこに変わらない感情と、揺るがない想いが流れていることを知っていた。その自制の効いた落ち着いた声はいつも小夜を癒して確かな存在にしてくれる。かすかに触れるハジの低い体温に、小夜はすがりつくように頬を寄せた。
   夢見るように遠くに去っていった『彼ら』。けれども今、自分は生きている。彼らと同じ方向を見ることももはや少女にはできなかった。一度は滅びの世界に背を向けて「生きたい」と望んだ小夜だから。望むこと、望まれること。
   足元から砂が崩れるように感じられるこの不安定な場所から手探りして。まるでハジの手の感触だけが救いであるかのように――。
「ハジ・・・・。何を見ていいのか、まだわからないの。どこへ行けばいいのかも、わからない。時間は私を追い越して行ってしまうから。それでも何かを夢見ようとしていてもいいの? あの人たちの夢を無理やり掘り起こして、そしてそれを壊してしまった私でも?」
「それが彼らの夢の結末であり、運命でした」
   小夜が後ろめたさを感じることも、負い目を感じることも無い――。低い、やさしい、吐息のような声。少女はもう一度だけ硬く青年の手に頬を寄せてからから顔を上げた。
「ハジ・・・・」
   赤みを帯びた濃い茶色の瞳が青年の目を覗き込み、何も言えずにただ青年の名だけを呼ぶ。少女の胸の中で遠い昔、血を分けた自分の妹の最後の微笑が甦った。死の間際にようやく見出した、心から望んだもの。彼女の夢見たものも、また自分が見出すべきものとは異なっている。
「それぞれの時に、それぞれの夢・・・・」
   それでもそのハジを置いて、三年経てば30年の夢の世界へ旅立っていかなければならない。迷うような少女の瞳に、青年はしっかりと視線を合わせた。
「眠りの中でも奪われないものがあると信じてください。その向こう側にある夢を」
   青年の瞳は揺るがない。この世でたった一つ。変わらない。年月にさらされて、変化していったとしても、深いところにあるものは決して変わらないものだと、その眼差しは語っていた。それを信じていたい。それがあればこんな自分でも何かを夢見ることが許されるかもしれない。
「それがなんなのか、まだわからないけれど」
   迷いながら、戸惑いながら。こうして『彼ら』の夢の時間を止めてしまうような自分でも。あの百年の闘いの時間、ひたすらディーヴァを殺すことだけを求め続け、自分の血を絶やす事だけを願い続けてきた。それなのに、そんな決意と運命を否定して生きている。そんな自分でも。
   人々が見る夢。ディーヴァが見た夢。『あの人たち』が見ていた夢。それぞれ異なっている。けれど、だからこそ。ハジの言っているように自分にも何かの夢を見つめられるのかもしれないと少女は思った。苦しみも、責めも、そのままにして受け止めて、その上で見ることのできる夢。そんな夢が追い求められたなら・・・・。あの、遠くの世界へ行ってしまった『彼ら』の見ている方向を、自分たちもまた見ることができるのかもしれない。そう小夜は思った。
   悲しい姿だとハジは言った。あの姿のままに、遠くの夢を見つめていた『彼ら』。そして遺蹟の発掘に夢を託している『彼』。どちらも彼らなりに幸せなのだと思いたい。『彼ら』の夢と自分たちの見るべき夢はまた異なっているのかもしれないけれど。




「おーい!」    遠くの方で人が呼んでいる。何かまた遺蹟の中で発見されたのかもしれない。時間はすべての夢をさらって流れていくものなのだろう。けれどもこうして遺蹟の中に、突然『彼ら』の夢の残り香に出会うこともある。その時間を自分は選択したのだ。




   赤い瞳が次第に光を帯び始める。やわらかい唇が震えるようにほころんで次の言葉を紡ぎだそうとするのを、静かな力強い目で青年は待ち続けていた。










2010/07/24

ハジ小夜度を高くしたい!と念じながら書いたので、前回は結構自分的には甘かった。そしてエピローグ。。。頑張りましたが。。。(沈黙・・・)
 私は『BLOOD+』の物語が終了して、30年後に目覚めた後も小夜は、これまでのできごと=ディーヴァ一族との闘いの過程で受けた精神的な傷からは解放されるまで時間がかかると思ってますので。その過程の一場面としての位置づけでこのSSを書きました。これはまだまだ小夜が自分の「生きたい」という気持ちを真正面から受け止められなくて、悩んでいた頃の話だったり。少しずつエピソードを重ねて生きる事を肯定していくといいと思います。(もちろん、それにはハジの存在が最重要だったり。。)

 でも、そんな私的背後設定などなくても、読めるようになっていたらいいなあ。。。と思ってます(超弱気。。)小夜&ディーヴァ以外の翼手の一族がいて、実は知らない間に人間社会の間にひっそりと住んでいた。。。。と言う設定は主にこのサイトでは『Out of BLOOD+』というコーナーで取り扱ってますが、今回はそれをハジ小夜にも持ってきてしまいました~~。掟破りで申し訳ありません。。本当に奇妙な話になってしまいました。でも書いていて楽しかったです。。
 ありがとうございました~~。

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