【3】
  大発見の後だというのに、それに反比例するかのように天候は最悪になっていった。突然の雷雨の後は、西から急に温かな湿った大気が流れ込み、静かな雨はじっとりと大地に浸透して、本格的な雨になっていった。時間と共にそれはますます強くなっていく。何人かが再び発掘現場に取って返し、防水シートをさらに厳重に保護するようにしていったが、その晩の天候が非常に不安定だという予報はみんなを心配させた。
   少女は疲れたからと言って、食事もほとんど食べずに自室にあてがわれた部屋へと引っ込み、しばらくして青年もその後を追うかのように部屋に戻って行った。世紀の大発見とも思える発掘に当たったというのに、しかも発端は自分が見つけた出土品だったという割には少女も青年も他のメンバーのように浮かれたそぶりも見せず、考え込むように口数少なく押し黙っている。発掘に興味があると言っていた少女の態度にしてはおかしなものだったが、発見された石碑への興味にすぐに皆は彼女たちのことなど頭から抜け落ちていた。
   間に合わせに撮られた何枚かの写真と、出土された状況とその周辺の確認に、彼らは興奮していた。そのために気象予報がその夜、再び大嵐になると変わったことに気がつくのが遅くなったのである。

   次第に強く降ってくる風雨に不安を募らせたのは、調査隊の責任者だけではなかった。それでも彼は予め風を避けられるように石碑を別の大きな岩の影まで移動させ、防水シートを幾重にもかけて急場を凌いでおくことを忘れてはいなかったが、ここまで強い嵐になることは予想していなかったのである。間に合わせのシートは風に飛ばされ、障害物がせっかくの石碑を傷つけることも十分考えられる。時間が経つにつれて、皆口数が少なくなりやがて誰かが車を使って見に行こうと言い出した。
「こんな嵐の時間にか? 調査で事故でも起こしてみろ。あっと言う間に予算がつかなくなるぞ」
   責任者はそう言ったが力が入ってはいなかった。メンバーのうち3人ほどが雨具をしっかり着込み、懐中電灯を持ち出したときには彼はむっつりと黙り込んでいた。
「どうしたんですか?」
   その時、あの少女が部屋から出てきてその場の深刻そうな空気に心配そうに眉を顰めた。どうやら雨音に眠れなかったらしい。
「ああ。ちょっとあの遺蹟まで観に行ってくるだけだよ」
「こんな時間に雨の中を・・・・」
「だからこそだ。皆、心配なんだよ、せっかくの発見が。一応岩場の影に避難させておいたんだが」
「おい、早くしろ」
「今行く」
「なるべく早く帰ってきますから」
   そう言って出て行く彼らを引き止める者は誰もいない。いつの間にか少女のすぐ傍に青年もやってきて佇んでいたが、誰も彼らに注意を向ける者もいなかった。出て行ったメンバーの安否と遺蹟の状態を誰もが気にしていた。彼らが戻ってくるまでがひどくのろのろと時間がすぎていくように思え、空気すらも重苦しく感じられた。時計の音が異様なほど大きく響いている。
   誰も何も言わなかった。
「早く帰ってくると良いんだが・・・・」
   誰かがそうつぶやいた時、いきなり宿泊施設の扉が乱暴に叩かれた。嵐に備えて建物の扉も頑丈に補強の板が打ち付けられている。その板ごと乱暴に揺さぶられているのだ。
「おい! おい!!助けてくれ!」
   その声に慌てて内側から扉が開けられた。転がるように入ってきたのは先程出て行った若者の一人だった。
「車が。車が溝に入ってしまって。今二人残って動かそうとしている」
   調査隊の助手がものも言わずに雨具を身につけると、何人かがそれに習った。
「案内してくれ」
「ハジ」
   少女が振り返りもせずに青年の名前を呼ぶと、青年自身も流れるような身のこなしで他の人たち同様に雨具を身につけ、一行の後ろから外に出て行った。少女は深く瞑目している。何かを迷っているような、悲しんでいるような表情だった。それは普通の学生たちに混じって、歳相応に心から発掘作業を楽しんでいた少女からは想像できないような重苦しさを感じさせる表情だった。
   まだ風は収まる気配は見せず、その勢いはますます強くなっていく。雨音だけは一定の間隔で強弱を繰り返しながら次第に大きくなっていった。こういう時は水の中をくぐるように時間が過ぎ去っていく。不意に雷鳴が轟いた。再び雷が戻ってきたのだ。同時に時折白く空気を閃かせるものがある。稲妻だった。低かった唸り声が時間と共に大きく威嚇するような声になり、最後には耳をつんざくような音となった。どんどん近づいてくるその音に怖れよりも不安が募る。
   電気がふっと消えた。
「停電だ」
   懐中電灯の明かりがつけられた。そして蝋燭が灯される。外の轟音が部屋の中にまで浸透し、火影が一同の姿を揺らめかせた。雷鳴と共に牙を剥いた風が窓も扉も、あらゆる外に向かっている部分にしがみつき、打ち鳴らし、わめき散らしている。誰もが次第にいつの間にやら遺跡のことよりも、出かけて行った人間たちの安否の方が心配になっていた。耳を済ませて車の音を聴こうにも、風雨が激しくて聞き取ることができない。この嵐の中ではまともに歩くことすら困難だろう。一体彼らは帰ってこられるのか、それよりも本当に無事でいるのか。雷鳴にも増して重苦しい疑問が全員の口を重くさせた。
「大丈夫」
   不意に少女が口を開いた。椅子に腰を下ろし、両膝の上でそれぞれの手を固く握り締めながら、少女は少し前の方を見つめる視線を崩さずに、何か思い詰めた表情と口調で言った。
「きっと帰ってきます」
   誰もが皆の無事を祈っていたが、少女の方を同情の目で見ていた者も少なくなかった。青年を含めた皆が今どうしているのか、最悪に事態も考えられる。それほどこの嵐はひどいものだったし、無事であっても彼らは途中でどこかに避難しているに違いないと考える者が多かった。この嵐の中を今夜帰還する者はいないだろうと思っていたのだった。それでも待つしかない時間の長さ。時計の音だけが刻まれていく空間。このまま嵐が過ぎ去るまで沈黙の中で待つしか手段が無い。嵐の力は中々弱まる気配を見せなかった。
   だが、きっかり倍の時間をかけて、彼らは戻ってきた。風の合間に、明らかに人間のものだとわかる叩き方で扉が叩かれ、複数の人間の気配がした。この激しい風雨の中をどうやってか、なんとか彼らは帰ってきたのだ。すぐさま飛びつくようにして扉が開けられた。
   全員が上から下までぐっしょりと濡れ鼠になっており、最初は誰も口を聞けないほど消耗していたが、残っていたメンバーが暖めたブランデーと現地の強い酒を飲んでやっと人心地がつくと状況を話し始めた。
「ひどいもんだ。もう少しで流されて遭難するところだったのを、この兄さんが引き上げてくれて」
「車は捨ててくるしかなかった。嵐が止んで残っていればいいんだが、こんな状況じゃあどうなることやら」
   溝にはまった車はそのままぬかるんだ泥に足をとられて動こうとしなかった。危なかったのは道が崩れ始めたからだった。車が傾く。中にいた者が慌てて外に出ようとしたのだが、風にあおられるようによろめいて車よりも自分自身がずるずると滑り落ちそうになったところを、この背の高い青年に助けられたのだと言う。
「危ない所だった」
   ほっそりとして重いものなど持ったこともないような風情だというのに青年の力は予想外に強く、その力で人間一人がようやく引き上げられたのだった。
「やはり嵐が止むまで外出は無理だな・・・・」
   窓を打ち鳴らす風を聞きながら、誰かがポツリとそう言った。




   着替えのために戻った部屋で、控えめなノックの音を聞く前から青年には少女がやってくることがわかっていた。扉の外でうつむいたままの消え入りそうな震える肩は、久々に見る胸痛むような少女の姿だった。
「小夜・・・・」
   そのまま少女は少しだけ部屋の中に入ると、濡れたままの青年の衣服の胸に額だけを押し付けた。
「ハジ。『あの人たち』は・・・・」
「わかっています」
「・・・・」
   そのまましばらく少女は黙ったままだったが、やがてぽつりと言葉を発した。
「どうしてあんな姿で、あんなところにいたんだろ」 掘り出されたあの石像は赤い切り口を持っていた。
「閉じ込められたみたいだったね。何か、『あの人たち』は・・・・・。ううん。なんでもない」
   もしかすると何かの刑罰だったのかも知れない。あるいは自ら進んで処理されたのかもしれない。石化の後、誰かがあのような形にしたのかもしれない。
   翼手の身体は対の女王の血を受けると石化する。
「・・・・誰かがあそこに安置したんだ。一体誰が? なぜ?」
   同族によってなのか、それとも人間によってなのか。二千年の時間を経て、今のこの世に姿を現した『あの二人』の、それは亡骸だった。
「それはもう誰にもわからないことです。私たちが知る必要もないこと――」
   だがそういう青年の声も憂いの響きを帯びていた。あの石像はまるで封じられているか、さもなくば守られているかのように、壊れた土器が周囲に埋めてあった。固く抱き合っていた二人。腕を絡ませあい、身体をぴったりと寄せ合って夢見るように遠くを見つめていた。女王とシュヴァリエなのか、あるいは女王と対の女王のシュヴァリエなのか。翼手の最後、特に女王種が最後にどういう運命を辿るのか、わかっているのは2例しかない。小夜たちの母親であるSAYAと、ディーヴァと。
「でも微笑んでいたね。とても綺麗だった」
「悲しい姿です」
「うん。悲しかった・・・」
   少女は俯いたまま、しばらく顔を上げなかった。顔を上げた時、その目には痛みと苦悩の影が宿っていた。
「ねえ。やっぱり、あの人たちをあのままにしておけない。このまんま持ち去られて、研究って言うことで砕かれて分析されたり、それともどこかに飾られて、大勢の人目にさらされて、話題になってしまったり・・・。
   それじゃあダメなの。あの人たちが望んでいるのはそんなことじゃない。それだけは私にもわかるから・・・」
   青年には少女の悲しみがよくわかった。かつて少女の母親はミイラになったまま動物園のジョエルの下に運ばれて、そうしてその中からサヤとディーヴァと言う運命の双子が誕生したのだった。
「私だってそんな姿を見たくない。想像したくもないもの。きっとあそこに置いて行ってはだめなんだよ。欠片一つも残さないように――」
   この自分の手で。そう少女は決意を口に出した。いくつもの思い出と悲しみと。
――それがあなたの望みなら――
そう言って青年は少女にくちづけした。




   その夜、宿泊施設から二人が抜け出す姿を見たものは一人もなく、しばらくして二人は出て行った時と同じようにひっそりと帰ってきたが、それを見咎めたり気が付いたりするものも、またいなかった。翼手の能力は人間をはるかに凌駕しており、この風雨と雷鳴の夜を力の限り駆け抜け、二人はあの遺蹟まで辿り、そして目的を果たして帰ってきたのだった。
   帰ってきた二人はぐっしょりと雨に濡れていた。雨に冷えたという理由だけではなく、戻ってきた少女の身体は細かく震えている。その唇は青く染まり、青年はその様子を痛ましいものを見るような目で見つめていた。
「小夜・・・」
   青年には今少女が何を思っているのかよくわかっている。自分の手で、少女はあの石化して樹脂に閉じ込められていた二人を、欠けら一つ残らぬように細かく砕き、嵐の風雨に乗せておくったのだった。打ち棄てられたまま、静かに眠っていられれば、彼らは今も無事でいられただろうに。人間の目にさらされたばかりに・・・。見出したときに石像は風で半分ほど保護シートがはがされ、石棺の中に仰向けに横たわっているように見えた。
「許して・・・・」
   石碑を前に、小夜は小さくつぶやいていた。人の目に触れさせないように。二人でずっと一緒にいられるように。稲妻の閃光の中、石棺に横たわった二人は雨に流されながらも微笑み続けていた。それは少女の翼手の力で石棺が打ち壊され、自分たちが細かく砕かれていく間も、変わることなく刻み付けられていた。
   つい先刻行ってきた事柄が少女にどれほどの苦悩をもたらしているのか。今、安全な施設の中にいながら、少女の俯いた髪から滴る雨の雫でまるで彼女が泣いているように青年の目には映った。青年のやさしい手に促されるように少女が体の向きを変えると、思わぬ力強さで青年の方へと抱き寄せられる。どうして石化されたあの二人があんな風に閉じ込められていたのか、わからない。だが、そこには何らかの思惑、悲しい意図が感じられた。何のために、どうやって。応えられることもない疑問ばかりが少女の胸をかき乱す。
「ハジ」
   嗚咽が少女の喉を割った。そのまますがりつくように青年の背中に手をまわす。
   外の嵐を聞きながら、ぐっしょりと雨に濡れた衣服を脱いだ少女はそのまま静かに青年に抱かれた。雨の匂いに満たされて。吐息と衣擦れだけに包まれたその愛は静かだったが激しかった。






<続く>



2010/07/16

ハジ小夜度を高くしたい~。というのが目標の今回のSS。のつもりだったのですが、奇妙な話に始まって奇妙な話で終わりそうです。。
 淡々と。次回エピローグ。一応ハジ小夜で。。。頑張ります。。。

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