【1】
  今回の発掘作業は幸運な事に天候に恵まれていた。
   こういった作業は乾季を狙ってスケジュールが組まれるのだが、それにしてもまっさらの晴天ではなく、風も強くなく雨も降らず、丁度良い気温の薄曇の日々が続いたのは幸運だった。こういう日は作業がはかどる。地面に這いつくばって細かい作業に手を休めず、細心の注意を払って掘り進めていくときには、まるで自分がモグラにでもなってしまったような錯覚に陥った。期待と失望。発掘調査とはこうして泥と砂と埃にまみれた、しかも当たるか当たらないか賭け事のような作業の連続なのである。
   しかし今回の調査はもしかすると、というかすかな期待をグループにもたらしてくれていた。土器の欠片が出土したのである。ほんの小さなものだったが、重要なのはそこに金箔がかすかに残っていたということだった。金は位の高い人物の持ち物、あるいは祭祀に使用されたものと限定される。どこかに大掛かりな出土品が眠っている可能性が高い。集落の跡、いや恐らく墓か神殿か。それでも闇雲に掘り進めるようなことはできなかった。この自然が再侵食している土地のどこかにもっとはっきりとした痕跡があるはずなのだ。問題はその場所だった。しらみつぶしに探すには広すぎるし、手間も時間も何よりも予算がなかった。
   悪い事には連れてきた学生のうち何人かが、この労力だけは要求されるくせに、なんの見返りもないような作業に音を上げて、リタイヤしてしまったのだった。だがこうした発掘調査となれば、苛酷な環境に同じメンバーが顔を合わせて何週間も過ごすのだ。様々なストレスがあって当然のことだった。それに耐えられるだけの興味と情熱がこの仕事には必要となる。
「今年の学生の質は最悪だね」
   この発掘を統率している調査隊の責任者は皮肉交じりにそう言ってみたが、学生が途中退場するのは今に始まったことではなかった。発掘調査では彼らを容赦なく使う。それは本人を含めた調査隊の誰でも知っていることだった。
「それを覚悟で野外研修に来たんだろうに・・・・」
   彼はため息をついた。ついそのような愚痴がこぼれるほど戦力は貴重であり、これからのスケジュールを考えると頭が痛い。時間が無尽蔵にあるわけではないのだ。
   そのような時だったからこそ、たった数週間の間だけだと言う話だったがその訪問者たちの到来はありがたかった。「訪問者たち」。それは若い男女の二人連れだった。一人はまだ子供と言っても良いような幼い顔立ちをした少女だったし、もう一人は上背はあるものの、この場にそぐわないほど静かな雰囲気の青年だった。ここの発掘調査に興味があると言って彼らが差し出したのはこの調査隊のスポンサーの一つになっている財団からの推薦状と、共同調査をしている他大学の教諭からの推薦状だった。
   こんな埃と泥にまみれた作業現場にはそぐわない二人連れに奇異の目が向けられる。
「あんたたちが、かね?」
   調査隊の責任者が疑わしげに言う。未経験者の冷やかしはごめんだった。周りの無遠慮な視線に少女の方が落ちつかなげにもじもじしている。その反対に青年の方は少し伏目がちになりながらも動じずにその物静かな雰囲気を保っていた。
「いいじゃないですか。今は人手が何でも欲しかったところだ。いくらでもやってもらいたいことはあるでしょう」
   彼の助手が助け舟を出すように言い添える。
「それに耐えられたらな」
   疑わしそうに皮肉な口調で彼は言ってみた。この二人の本音を聞きかった。こんななんの保証も無いような発掘調査に、この二人が耐えられるかどうか。二人ともあまりに華奢で、野外作業にむいているとは思えなかった。
「耐えられます。大丈夫です」
   そう言ったのは少女の方だった。先程よりもその目が強い力でこちらを見つめている。印象的な目の色だった。大きくてどこか無邪気でひたむきな色をしている。
「まあやってもらおう。人手は多いほどいい」
   こうして彼らは調査隊の一員となった。




「ここにある遺跡は大体紀元前二千年ほどと推測されている。あの辺りが大きな神殿。今もう一つ、別の小さな遺跡が発見され、我々はその調査をしているのだ」
   参加メンバーに引き合わされた後、少女はこの調査隊の責任者によって発掘場所を案内されていた。青年は荷物の整理に後に残っている。
「あの大きな神殿がまず先に発掘されて、出土品が多く出た。同じような金彩つきの土器がこの辺りからも発見されている。そこから考えられるのはこの周囲にあるのが墓地か副神殿である可能性が高いということだった」
「いろんな人が祈りを捧げていた場所なんですね」
   感慨深げに少女が言った。その言い方に、説明をしていたこの場の責任者はちょっと驚いたように彼女を見つめた。少女はまっすぐで、濁りのない純粋な目で周囲を見つめていた。それは少女の素直な感性の表れなのかも知れなかった。遺蹟へのスポンサーとの交渉やら学生たち相手の文献や講義、論文のこと。そしてスケジュールと発掘された出土品の心配。それらに隠されて見えなくなってしまったものを彼女の一言は思い出させてくれた。当の本人は相手の熱心に発掘作業を夢中になって見ているだけで彼の不思議そうな視線に気づきもしない。ふと彼女が振り返ってこちらを見たので、慌てたように彼は続けた。
「だがどうやら最初の神殿とどうも出土品の形式が異なっているようなのだ。あの最初に発掘された神殿よりもさらに千年ほど遡ると見られる。出土されているのはまだほんの数点だが、もしかすると大変な発見に居合わせる幸運を引き当てるかもしれない」
   少女はうなずいた。辺りは一面の砂と岩。向こう側には森のように木々が重なり合っている。そして地層の断面に湧き上がっている泉があった。
「大昔はもっと離れた所にあったことがわかっている。それが洪水や長い雨季によって少しずつ地形が変化して、今この場所に存在しているのだ。恐らくもう数十年経てば、この場所も水没することになるかもしれない。その前に我々としてはできるだけ発掘作業を進めておきたいというのが発掘計画の主旨なんだ」
   とは言うものの、難航しているのも確かな事だった。現地の人間はこの場所に居つくのをなぜか好まず、人数は常に足りなかった。連れてきた学生には逃げられる。この二人連れがやってきた事はありがたかった。
   不思議な雰囲気の二人連れだった。同じような黒髪で兄妹かとも思ったが、面差しは全く似ておらず、年上のはずなのにむしろ青年の方が少女の意向に従っているようだった。特筆すべきは少女の食べっぷりで、ゆうに二人前はあるかと思うほどの量を一辺に平らげる。その一方で青年は極端に少食で、さりげなく自分の分を少女の皿に移していることも度々見受けられた。そうやっていても別に疲れた風にも、倒れそうにも見えず、発掘でも賄い方でも気がつくと淡々と作業をこなしている。逆にあれだけの食事量でよくこの身体がもつものだと、周囲の者を内心驚かせていた。
   よく見ていると、しっかりしているようで少女の方はかなり不器用だった。見掛けよりもずっと体力も腕力もあったが、細かい作業をすることがどうやら苦手で破片の削り出しもあまり精緻とは言えなかったし、一度ならず、本来は慎重に取り出さなくてはならない地層に目算以上の裂け目を入れてしまい、もう少しで出土品に傷をつけるところだった。いくら興味があろうとも、考古学者には向いていない。その度に気の荒い現場担当者に怒鳴られて肩を落としていたものの、とうとう発掘作業ではなく踏査作業の方に廻ってもらおうと言われたときには、さすがの少女も意気消沈して言葉も無くうなだれた。
「そうがっかりしなさんな。遺跡の発見には野外踏査作業が欠かせない。遺跡の在る可能性のある場所を細かく実地調査する作業だ。そうするうちに思いもかけない出土品が埋まっているのを発見することもある。もしもそこで発掘が行われたら、今度こそその手伝いをさせてもらえるかもしれないよ」
   そう言われて少女が少し元気を取り戻す。ここで自分ができることを見つけて明らかにほっとしている様子だった。
   少女が踏査班に振り分けられると知ったとき、青年も踏査班に振り分けられる事を希望した。同じチームで、毎回夕方にはキャンプに合流すると説明しても、控えめだががんとして退かぬ様子で彼は引かなかった。青年は見かけ以上に器用だったので、チーム全体から言えば少女は踏査班に、青年は出土品作業班にと振り分けたかったのだが、彼の目の中には決心すれば後ろに引かない何かがあった。
「大丈夫だよ、ハジ」だがそのとき少女が言った。
「皆もいるし、私は一人でも大丈夫だから」
   出土品作業を手伝ってあげて。そういう少女の言葉を聞くと、青年はわずかにためらうそぶりを見せたが、意外にもすんなり同意を示し、おとなしく出土品作業に入っていった。青年は少女の望みにできるだけ沿おうと思っている様子だった。一度心を決めると青年は空気のようにその場に溶け込み、出すぎず引きすぎず、滞りなく割り振られた作業をこなしていった。
   それからの作業は順調だった。気候が良いとは言え、道なき道を踏破するような野外実地調査に少女は音を上げることなく、五人ほどのメンバーと楽しそうに周辺地理の確認を行なっていたし、青年は陶器の破片の選り分け方や扱い方に次第に慣れてくるとかなりの速さで作業を進めていき、時折現地作業員に混じって、力仕事にも参加しているようだった。そういう折、この寡黙な青年は骨の折れる作業も文句一つ言わず、ただ淡々と掘り進めて行くのが常だった。




   調査隊の面々は、特に若い者に関しては、週末ごとに大きな街の繁華街に繰り出す事をこの長期の野外活動のわずかな楽しみにしている者が多かった。キャンプ代わりの街郊外の宿泊施設には大学関係のスタッフ数名を含む何人かしか残らなかったが、この二人も同じようにこの施設に残って、わずかな現地作業員を手伝ったり、遺跡周辺を散策したりして時間を過ごしていることが多かった。
   二人だけでいるときには元々寡黙な青年同様、この明るい笑顔が似合う少女もあまり口を開かず、時折ある種の物悲しげな雰囲気をかもし出していることがあった。だが互いに肩を並べているうちに、その空気が緩み、そのうちに少女の顔にはやわらかい微笑みが戻ってくる。その少女の微笑を見つめて、青年の顔にも滅多に無い微笑みが浮かぶ。二人でいることがいかにも自然体でくつろいだ様子に見えた。
「あんたたち、一体なんでこんな所へ?」
   二人がここに来て二週間ほど経ち、スタッフ全員にも調査隊全体にも大分なれた頃、現地の強い酒をちびちびやりながら、この調査隊の責任者が突然切り出した。青年が顔を上げ、少女がはっと目を見開く。
「何って興味があって・・・・」
「紹介状はしっかりしている。間違いない。けれど、あんたたちは研究員って感じじゃあない」
「それは・・・・」
   はっきりと言われてしまい、少女は困ったように眉を寄せていた。
「どうしてもここに来たかったんです」
「だから、なぜ?」
「発掘に興味があったから・・・・」
   少女の横で青年の雰囲気がわずかに硬いものになっていく。同じような答えしか返していない少女に向かって、軽い苛立ちが混じった問いかけが繰り返された。
「よりによって、何故ここを選んだのかね?」
「私・・・・」
「なぜだね」
「小夜・・・・」
   警戒を含んだ青年の方にわずかな視線を投げた後で、少女は相手に向かってまっすぐな視線を返してきた。
「第六感って、信じますか?何かに呼ばれているような感じ。偶然読んだ調査記事でこの場所のことを読んだ時、私はここに来なくちゃならない、そう思えたんです。だから、色々と無理を言って・・・・・。
   あの。すみません。もしかして私たち、お邪魔なんでしょうか?」
「いや」 少女の答えはなぜか彼の気に入ったようだった。
「第六感というのも、時には我々に必要なものだ。そして地道な努力。その二つがあってかろうじて掴めるものがある。あんたの言いたい事はなんとなくわかるような気がするよ。
   だが肝心なことが一つある。大切なのはあんたがここを気に入った事じゃない。ここがあんたを気に入ったかどうか、なんだよ。邪魔か邪魔じゃないか、なんてことはその時わかる」
   そう言って彼は笑った。彼が自分の言葉がどのような意味を持っているのかを思い知ったのはそれから間も無くの事だった。





<続く>



2010/06/18

すみません。少しだけ連載させてください。。
 本当はホラーミステリーっぽい話を創ろうと思ったのです。ところが・・・。書いているうちにこんな感じに。。。まだ何も動いていない状態ですが。。。
 またしてもワケノワカラナイ話になりそうです。。。。。 

 3話+エピローグという構成予定です。。。

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