なぜそんな事を思いついたのか、小夜自身にもわからない。


 きっかけは画像システムのコマーシャルだった。今でも昔の温暖化対策の名残のように、時折緑化活動の宣伝が入り、「自然回帰」だとか「緑の安らぎ」だとかいうキャッチフレーズとともに、実際の活動映像が映し出される時がある。その時観ていたのも、その中の一つだったと思う。ぼんやりとそれを眺めていた小夜の目に、切り株から緑の苗木が延びていき、やがて新たな若木となって、葉を茂らせる映像が映った。
 どこかで見たような光景に一瞬小夜は30年前に連れ戻されたような錯覚に陥った。あれは決戦の後に戻った高校の裏庭。一度切り倒された樹にも生命の息吹は残っており、たった1年の間に新芽を芽吹かせ、小夜を驚かせると同時に感動させたものだった。生命の循環。光に祝福された生命。
 あんな風に倒れてはまた甦っていくものを、自分の手で根付かせてみたい。唐突にそう思った。目覚めていられるのはたった3年間だったが、今、この生きる事を許され、安らぎに満ちた時間を過ごしているうちに、この時間の向こう側に残しておきたいものがある。そう考えるとこの思い付きが単なる気まぐれではなく、自分にとってとても大切な事のような気がした。どうしてもやり遂げなくてはならない仕事のように。






 これを実行するために、小夜は自分一人ですべての準備を整えようと考えた。まず植樹に適する丈夫な種を検索してみる。花の咲く品種がいい、と小夜は思った。来るべき春にあえかな芳香をもたらすものを。丈夫で力強い品種を。
 そうやって検索を絞り込んでいくと、いくつかの品種に特定される。あまり植物に詳しい方ではなかったが、情報化社会の強みとして、素人にもわかりやすく育成の説明をしてくれている場所がいくつもあった。その中でも少女はほとんど人の手を煩わせる事無く成長する品種を選んだ。春になると白く美しい花を咲かせるという。
 検索システムに集中している最中、ハジが怪訝そうな顔をして自分を見つめていたが、できるだけ何でもない顔をしてやり過ごす。少女に対してはすべてに関して敏感な青年に、これは実に至難の業だった。だが小夜は青年には黙っていたかった。すべてを自分で行って、その結果の喜びを誰よりも彼に味わって欲しかったのだ。
 実際の購入はカイに頼んだ。今なおOMOROにてジョージの味を守っている兄は、妹の頼みを二つ返事で引き受けてから不思議そうに言った。
「でも、どうしてハジに内緒なんだ?」
「だって。私が眠ってからじゃないと意味無いもの。今は秘密にしておいて、いなくなってから驚かせたいんだ」
 その夢見る少女の表情に、以前の無邪気な小夜を見つけてカイはほほえましく思ったが、同時に常に3年後の眠りを見つめる少女の運命を思って胸を痛めた。大人になって無骨になった大きな手で少女の頭をくしゃりと撫でる。
「無理すんなよ」
 少女は一瞬だけべそをかいたように顔をゆがめたが、次の瞬間それを翻すように笑って頷いた。すでに夕暮れの光が店内に差し込んでいる。兄妹水入らずで過ごす時間に遠慮していたハジが、少女を迎えにOMOROにやってくるのはもうじきだった。






 苗木を手に入れる手はずは整った(単にカイにお願いしただけだったが)。しかし問題はハジに気づかれずにどうやってそれを植えるかだった。またカイに頼みこんで何とか一日、OMOROに引き止めてもらおうか。だが植樹した後、しばらくは様子を見に行かないと心配だし。
 海岸べりに座り込んで、ぼんやりとそんな事を考えていると、静かに傍らに歩み寄った気配がある。
「ハジ」
 振り仰いで微笑みかけると、青年の顔にも柔らかな微笑が浮かんだ。その目が優しく自分を見つめている。それを見るのが好きだと思った。闘いの時代は憂いの色が色濃くて、そんな目をさせてしまう自分自身が呪わしく、苦しかったのに。今はこんな風に柔らかく微笑んでくれる。動物園の昔に似ていながら、より穏やかで深い眼差しの中で。胸の中に暖かな想いが次々と生まれてきて言葉を詰まらせた。ただ微笑んでいる。微笑みながらハジを見つめている。見つめられている。
 青年が恭しくに差し出した手に掴まって、小夜は立ち上がった。






 植える場所も慎重に選ばなくては、と小夜は思った。見晴らしの良いところがいい。そして開発と言う名目の破壊から長い間免れられるところ。ハジと一緒に歩いている時も、カイや香里や真央といった懐かしい面々と逢っている時も、小夜は絶えずその事を考え続け、ぼんやりしている事が多くなった。
「小夜。一体どうしたのですか」
 ある時とうとうハジが問い掛けた。この大切な少女の表情に憂いに似た彩を見ることは、青年にとって耐えられない。
「な、なんでもないの」
 思わず顔を赤らめて、小夜はごまかすように両手を振った。別に悪い事をしている訳ではないのに、ハジに隠していると思うだけで何となく罪悪感を感じてしまう。しかしハジは微かに眉を顰めると、追い詰めるように距離を詰めてサヤ、と一言促した。こういう時のハジは容赦が無い。しかしここで引いてしまう事も小夜にはできなかった。その唇を引き結び、すぐ近くにある白い顔を見上げる。
「だめだよ」その瞳がうっすらと赤く染まっている。
「大丈夫。ハジが心配するような事は何もないから」
 言い切ってしまうとハジの青い目が心配と困惑に揺れる。それを見て小夜は急いで付け加えた。
「いつか、ハジにきちんと話すから」
 青年は少しの間躊躇していたが、小夜の目をじっと見つめその中に痛みの色が全く無いことを確認するとため息をついた。どの道青年にはこの少女の望みを否定する事などできはしないのだ。
「わかりました」
 それでも拘束していた肩からその手を離す時、青年は一瞬残念に思った。






 植樹の機会は思ったよりも早く来た。今回もカイは大活躍である。実は何年か前から街を上げての夏のイベントというものが開催されるようになり、大衆食堂OMOROの店主であるカイもその実行委員の一人となっていた。店はこじんまりとしてはいても、意外に顔の広いカイは頼りになる世話役の一人でもある。
 そんなカイの処に相談が持ち込まれた。イベントの一環として社会人オーケストラの演奏が予定されていたのだが、その中のチェロ奏者に一人、急病が出たというのだ。どうやら一週間ほど入院するらしい。大型の弦楽奏者は数が少なく、今更代わりの者を見つけようが無い。バランス的に言って、今までだってチェロはギリギリの人数だったのだ。
 格好いいとは思っていたけれど、オーケストラ演奏は中止にするか。相談と言うよりも、半分以上愚痴を言いにきたらしいその男に、ここぞとばかりに机をたたいてカイは言ったものだ。
「俺に任せておけ」
 問題は相手の説得である。
 夏でも黒衣の青年は、OMOROのカウンターに座り込み、カイの話を終わりまでじっと聞いていた。
「しかし、私のチェロは大勢の人の前で演奏するようなものではありません」
 婉曲に断りを入れたつもりだったが、今までに無いカイの
「どうしても、おまえのチェロじゃなくちゃだめなんだよ」
という強い言葉と、何よりも小夜が屈託無く
「私はハジのチェロ、皆にも聞いてもらいたいな」
と言ったことによって青年は渋々ながら承諾の意思を表明した。
「どの道練習だとかリハーサルだとかがあるんだろう? やっていけないようだったらその時に断りゃあいいんだよ」
 あんまり深く考えんな、というカイの言葉に内心苦笑しながらも、にこにこと笑っている小夜を見ると何も言えなくなってしまう。先日から様子のおかしい少女を残していくのは心配だったが、何よりも彼女の望みを最優先させたい気持ちも青年にはあった。
「練習は明後日からだからな」
 小夜と一緒に店を出る時、追い討ちをかけるようにカイの言葉が降ってきた。






 ハジが練習に借り出された日、小夜はOMOROに立ち寄って、カイに預けてあった苗木とスコップ、肥料その他一式を大きめのキャスターバックに放り込み、予め決めてあった場所に向かった。いつも従者と共に居る少女が、そんな大荷物を抱えている姿をカイは見たことが無かったが、それでも自分一人でやるのだと言い張る小夜の言葉に諦めたように頭をかいた。小夜はこれだけは誰の手も借りず、一人きりでそれをやろうと決めたのだ。
 器用とは決して言えない少女が、なんどもチェックしてやり方と植え方を脳内トレースしてきた。苗木を植える場所は既に選んである。実はカイにもリサーチを手伝ってもらい、その中の一つから選んだものだ。
 下草を取り払って地面を掘って穴を空け、土と肥料を混ぜ合わせて底の方に敷く。その上に土を被せ、さらにその上に苗木を植えて。丁度小夜の胸の高さくらいまであるその木は、途中で接木のための布が巻いてあり、木肌はざらざらしていたがいかにも丈夫そうにどっしりしていた。根っこは先の方を少しだけほぐしてやって、周囲に土を盛って安定させる。植えた後はたっぷり水をやって。そんなささやかな事が珍しくて、楽しくて。埃塗れになりながらも嬉しかった。土の匂いが小夜に生命の力強さ、確かさを伝えてくれる。ここに自分は居て良いのだと。
 自分の思い出が、眠っている間も育ってくれることを小夜は心の底から祈っていた。そしていつかそれを花束のようにして捧げたい。いつだって自分のために惜しみなくすべてを捧げてくれている人に。
 小夜は柔らかな目をして、たった今植えたばかりの樹を眺めた。眠りに沈むことを定められた自分が、置いていかなくてはならない人に贈ることができるもの。
 そうだ。私は何かを贈りたかったのだ。あの、穏やかな目をした青年、共に寄り添い長い年月を渡ってきた私のたった一人に。自分が眠りに就いている時にもわかるもの。たとえ繭の中でまどろんでいても、自分の想いは一緒に居ると。その想いをカタチにしたようなものを手渡したかった。
 小夜は宮城家の亀甲墓のある場所を振り仰いだ。いつか遠くない未来に、自分はまたあそこに休む。ハジが訪れてくれるその時、いつでも見守っていられるように。自分の形見を置いていきたい。






 夏の青空が目に染みる。夏の日差しがようやく緩み始めている沖縄の空を仰ぎながら、少女は青年がいつの日か自分の作った緑陰に休み、緩やかに楽器を奏でている姿を思い描いた。




 夏は未だ終わらず、沖縄の日々はまだこれからだった。

2008/09/13

 甘いハジ小夜を目指して・・・。何だかこんな話に。予想外に可愛らしい話になってしまって、自分でもびっくりです。しかもいろんな意味で今ひとつ。許して!
 ただ小夜が樹を植えるだけのお話でした。ハジがみんなの前でチェロを弾く姿を見て、何となく安心する小夜の姿なども書こうと思ったのですが、まとまりが無くなってしまったので、割愛。(私が書くものって、割愛が多い・・・)
 今回、場面描写だけをぱっぱっと重ねていって、どんな感じになるか、試してみました。軽い感じにしたかったのですが。今までの私のサイトのハジ小夜SSには無い類を目指してみました。
 往く夏を思って(ちょっと時期的に遅かったですが)。

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