「ジョエル。憶えていらっしゃいますか?母が亡くなった時の事を」
「ええ。寒い日だった」
「雪が降っていると誰かが教えてくれました」
「あなたはまだ小さくて・・・母君の棺の前にじっと座っておられた」
 彼女達の存在はほとんど知られておらず、身内の一族から一人とジョエルの館の中でも古くからいる者達だけが葬儀に参列していた。まだ小さかった彼女はただ一人、身体を強張らせ母親の前じっと佇んでいた。唯一の身内である彼女がこれから一晩棺の前で寝ずの番をすることになるのだ。そしてほとんどの者達が彼女を残して去って行った後、あの二人がやってきたのだ。




「あなた方がいらしてくださるなんて・・・」
 二人が盲目の少女に話しかける前に、少女の方からさして驚きもしない口調で語りかけた。
「明日が葬儀だと伺って・・・・。そちらには参列できないから」
「ありがとう・・・」
 その言葉に相手は身体を震わせた。
「?」
「ありがとう、なんて久々に聞いたような気がする」
 淋しい声だった。少女は手探りで立ち上がると、彼女に向かって両手をさし伸ばした。
「サヤ」
 小さな少女の手が彼女の頬に軽く触れる。サヤは触れられるまま、じっとしていた。傍らの青年が驚いているような気配がしていた。小さな手がサヤの頬をなぞるように撫でていく。それから少女は微笑んだ。
「温かい・・・」
「怖がらないんだね」
「どうして?」
「今のジョエルは私達を怖がっている。隠していてもわかる。あなたのお母様もそうだった。決して必要以上の距離には近寄ってくれなかった」
 少女は彼女の声にある悲しみを感じ取り、いつも抑えるようにしていた感情が溢れ出てくるような気がした。その頬に手を当てたまま少女はサヤの耳元で囁いた。
「違います。私にはジョエルの事なんてわからない。でも母は。母があなた方を怖がっていたわけではないのです。
母が怖がっていたのは自分の力が撓んでしまうことだった・・・。あなた方の存在は私達の能力にとって影響が大きすぎるから・・・」
「あなたは大丈夫なのですか?」
 今まで黙っていた青年が始めての問いを口に出した。低く、艶やかな美しい声だった。サヤにだけ聞こえるような囁き声を聞き取られ少女は戸惑って、それから微笑んだ。翼手の能力をすっかり忘れていた。それにまだ10をそんなに出ていない少女に彼は丁寧な言葉遣いをしてくれる。
「私は母の意向で小さい頃からこの屋敷に居て、訓練を受けてましたから。
 それに母は・・・母様がどんなにあなた方を心配していたか。すまながっていたか。だから余計にあなたに逢うのが辛かったのだと思います。最後の最後まで母はあなた方の心配をしていました」
「それは――私が本当にジョエルの下にいて、ディーヴァを狩るのか、という事?」
 この二人がどんな運命を背負っているか、少女は痛いほど知っていた。それは自分自身の運命でもあったから。しかし彼女はふるふると首を横に振った。
「母様はそんな事、心配してなかったと思います。あなたがディーヴァを狩るのにすべてを捧げる事はわかっていますから。母様が心からすまないと思っていたのは、自分の力が足りなくて、あなたにこの運命を背負わせる事になってしまったから
 母様の力がもっと強かったら、ディーヴァも人間と共に生きる事が出来たかもしれない。あの惨劇のもっと前に警告を発する事が出来たかもしれない、それに・・・・」
 言いかけて少女は再び首を振った。
「もう止めましょう。母様の所に来てくれて本当に嬉しい。今はそれだけでいいもの・・・」
 小さな声でそう言った少女に、サヤはためらいがちに近づくと、その小柄な身体を抱き締めた。昔、彼女の傍らに立っている青年が小さかった時、彼にしたように優しく。少女の身体は当時のハジのものよりも頼りなく、華奢で今まで少女が使っていた大人びた言葉遣いとの差異に戸惑いながら、サヤは少女が怯えませんようにと思わず心の中で願ったのだった。
 少女も突然の抱擁に驚きながら、サヤの腕の温かさと柔らかさに安らぎを感じていた。このジョエルの館にはこんな風に自分を慰めてくれる存在などいやしなかったのだ。それからサヤもジョエルと言う養い親を喪っている事に思い至った。
 私達は二人とも親を喪った小さな子供なのだ。いつしか少女の胸にサヤに対する共感が湧き上がっていた。


 あの時から何年経っただろうか。あの後少ししてサヤは最初の休眠期に入り眠りに付いた。恐らく30年は目覚めぬままに眠り続ける。30年。ひとつの人生ほどにも長い眠りの間にこの世はどれだけ変わって見えることだろうか。
 けれどもそれだけではない。30年の間に準備しなければならない事も数多く存在する。なによりもディーヴァに、そのシュヴァリエに対して備えを固めなければならないのだ。そのために少女の一族はゴルトシュミット一族を選び、予知の力によってその屋台骨を支えるのである。
「ジョエル。私は自分の力をあなたの組織に遣うと誓っています。あなたの望みの通りに私の力をお使いください」
 外にはいつの間にか雪が舞っていた。




END



2007/12/08