扉を開けると白い衣が見えた。炉火の照り返しがその前に座った女達の顔を照らし出している。二人とも真っ白な髪をして、片方は目を書物に落とし、もう片方は向かい合わせに座った女の朗読に耳を傾けている。それは一枚の絵画のようだった。まるでその場に踏み込む事を躊躇わせるような。しかし彼はその静かな雰囲気を払うように身体を扉の内側に押し入れた。
「よろしいですかな?」
 声をかけると、そのうちの一人がこちらを向く。
「ジョエル」
 物静かな雰囲気の通り、静かな応えが部屋に響いた。そのまま彼女がもう一人にうなずくと、その女は朗読を止め静かに席を立った。
「どうぞ。そろそろいらっしゃる頃だと思ってました」
 女はまだ若く、子供のような顔立ちをしている。だがその声色には年齢に見合わぬ成熟が含まれていた。ジョエルと呼ばれた男は苦笑しながら勧められたとおり、部屋の中央に設えられた椅子に歩み寄った。
「敵いませんな。貴女には」
 彼女はジョエルがこの部屋に来る前からその訪れを知っていたのだ。
「だからこその予知者。だからこその我が一族。ゴルトシュミットが表舞台から退く見返りに私達はあなた方に富と力の知識をお渡しするとお約束しました。それだけのものを受け取っていただいているのでしょう?」
「確かに。あなた方の目の付け所は流石です。資源の確保、運用、そして情報の操作。どうしても限界がある情報の流れを、あなた方ほど巧みに読み解く者達はいない。一見そうは見えない程の、だが確かな影響力を我々は得ました。貴女の一族の能力は確かだ」
「いいえ。それはゴルトシュミットの基盤があったからこそ」
「だがそれを磐石なものに強化したのはあなた方の力の後押しがあったからこそ。そして備えている――」
「翼手に」
 そう言うと女は立ち上がって暖炉の傍から机の方へ移動しようとしてふらついた。
「危ない」
「大丈夫です。この部屋の中では慣れておりますもの」
 例え目が見えなくても――。その言葉通り女の瞼は閉じたきり開かない。皮肉ではない声色は再びジョエルに椅子を勧め、自らも席に着いた。
「何かお聞きになりたい事がおありなのでしょう?」
「ゴルトシュミットは表舞台から身を引きました。しかしその分家筋に秀でた者がおりましてね。ロンドンを拠点にしているので、中々逢えないのだが。私の祖父の助手をしていた者の血筋で――」
「お祖父様の助手? 初めてうかがいますね。母は知っていたのですか?」
「いや、当人ではありません。ただし同じアンシェルの名を持っている。そして祖父の助手は研究者でしたが彼はまったくの事業家と聞いています」
「事業家・・・。では私に彼への助言をと?」
「いえ。必ずしもそうではありません。それに彼は中々のやり手でもありますから」
「私の助力は必要ない、と。ではジョエル・・・何がおっしゃりたいのですか? 私は目が見えませんが、その分肌が敏いのです。こうしているとあなたの不安が感じられます」
「私はこれまで翼手を、ディーヴァの追跡をすると共に、着実にゴルトシュミットの地盤を固めてきたつもりです。しかしここにきて分家であるゴールドスミスがイギリスを基盤に表舞台へと躍進を始めているのです。本家である我ら一族を上回る勢いで」
「それはあなたが選んだ事です。あの時、あの1883年のあの日から。表舞台からは退き、影の存在になる事を。
 それとも分家を名乗るものが新興してきた事が心配なのですか? それは良くある事です。なんの心配も要りません。彼らは所詮ゴルトシュミットではない。それに、たとえどんな事業が立ち上がろうとも、あなたが抑えているのは、全ての基本になるものですから。おわかりでしょう?何を不安に思っておいでなのですか?」
「私達はディーヴァの行方を必死で探してきました」
「ええ。でも今はサヤもディーヴァも休眠期に入っています。見出すのは困難でしょう」
「私は時折考えるのです。『動物園』を出たディーヴァが一体どうやって我々の眼から逃れているのか。あの、人間以外のものがどうやって世間から隠れていられるのか。アレは『動物園』で全く隔離されて飼育されていた。外を知らないものが目立たずに居られるほど世間は広くない」
「シュヴァリエ」
「ええ。彼女もシュヴァリエを作ったのでしょうね。ではそれは一体誰なのか。よほどの知識がなければディーヴァをかくまう事など出来ないのではないか。そして15年前の『死体が甦る』事件。貴女は翼手が増えていくのは、女王が次世代を生む時か、あるいはシュヴァリエを作るときだけだとおっしゃった。ではアレらは何なのか」
「ジョエル・・・」
「ディーヴァは何を目論んでいるのか。時折私は何か見落としているのではないかと憔悴に駆られることさえあります」
「ジョエル、あなたの心配はディーヴァのシュヴァリエが誰なのか、そして何を考えているかと言う事なのですね。でもそれがゴルトシュミットの分家の心配とどう関係しているのですか?」
「サヤのシュヴァリエを知っているでしょう?」
「ええ」
「彼は歳を取りません。あれから何年も経っているというのに外見に変化が無い」
「それがシュヴァリエと呼ばれる者達の特徴です」
「『動物園』の助手だった者の名がアンシェル。そして今ゴールドスミスの当主を名乗っている者の名がアンシェル。偶然でしょうか」
「――まさか、そのアンシェルがシュヴァリエだと? 今、当人では無いとおっしゃったばかりではありませんか。それに名前を引き継ぐ事はそう珍しいことではありません」
「『日記』によれば『動物園』のアンシェルはディーヴァの世話をしていたそうです」
「ディーヴァの・・・」
「だからこそ逢ってみていただきたいのです。貴女に、そのアンシェル・ゴールドスミスと」


 夜が不吉な風を孕んで過ぎていった。




END



2007/12/05