女たちの長がサヤとハジに会いたいと申し出るのを、ジョエルは当然のことのように予想していた。そのためにこそこの白い女たちの長はこのゴルトシュミットに来たということも、ジョエルには良くわかっていたのである。彼女たちの一族は例外なく「彼ら」に興味を抱き、『赤い盾』の面々が無意識のうちに距離をおいている「彼ら」の直接的な世話を実質上行なってきた。ずっと昔、一族が「彼ら」に関わりをもっていたという言葉をこのジョエルも度々彼女たち自身から聞いてきたのである。ただ危惧があった。今までのこの白い一族の女たちは翼手の存在に慣れるために幼い時からジョエルの邸宅に寄宿してその才能、能力を磨いてきた。突然あの二人に逢おうというこの若い女が、無防備に彼らに逢って一体何が起きるのか、ジョエルにはわからなかったのである。
「いつの日か、そうおっしゃられるのはわかっていましたよ」ジョエルはため息をついた。
「しかし、なぜ『今』なのですか?」
「私が一族の者として彼らに逢うことは予め決められた出来事でした。しかしその前に、私は知らなくてはならなかったのです。『赤い盾』とはなにか。そしてゴルトシュミットとは何者か」
「私のことが?」
「ええ」ジョエルの目に浮かぶものを見つめながら白い女長は微笑んだ。
「人でありながら、人以外のモノの戦いに巻き込まれた方々。あなた方が何を考えて何を見ているのか。『彼ら』に対してどういう感情を抱いているのか。興味なのか、恐怖なのか、親しみなのか、それとも嫌悪なのか。私は知りたかった、ジョエル。これほどまでに深く、翼手とあなた方が呼んでいる存在に関わっているあなた方。私にはそれがとても興味深く思えたのです」
「興味、ですか。同情でも共感でもなく私たちに対する興味。私はあなた方一族も同様だと思っていたのだが。つまり、あなた方も『彼ら』に深い因縁を持っていらっしゃる。だから翼手に対してはあなた方も私たちと同じだと思っていたのだが――」
「さあ・・・・」というのが彼女の答えだった。
「私たちの定めはあなた方のそれとは異なっておりますから。異なる運命に繋がれた者たちが、同じような感情を抱くことは稀です」
 過去の誰よりも精緻な予知にたけ、過去の誰よりも謎めいた言葉を紡ぐこの華奢な女。年若い長。自分がサヤに行なった行為を憤り、彼から一族から離反した女ですら、彼女のように他人の予測のつかない言葉を発する事はなかった。
 彼女が彼らに出会うとき、何が起こるのか、彼には好奇心よりも不安の方が大きかった。
 だがそのとき不意に女は微笑んだ。
「ジョエル。心配することはありません。我が一族はあなた方の一族に力をお貸しすると約束しました。それは一族が滅んだ今でも変わってはおりません。定めは異なっていようとも、同じ道の途中にある者同士。今までどおり私は持てる能力をゴルトシュミットと『赤い盾』に捧げ、サヤとハジの力になる。このことは既に決められている私の運命なのですから」
 穏やかな女の言葉にジョエルの胸に一瞬、この女に哀れみとも尊敬とも怖れともつかぬ複雑な想いが湧き上がる。人間ではない翼手を自分の運命と言い切る女。白い一族の最後の一人。だが次の瞬間、ジョエルはそれは何と自分達一族の運命に似ているのだろうと思った。このゴルトシュミットに生まれ落ち、ディーヴァの殲滅機関である『赤い盾』の長官の座についたときから、自分の運命は決められていた。翼手と戦うこと。すべての翼手の犠牲者を背負っていく事。先の見えない運命。翼手に縛られた一生。だが自分たちの一族と同様に、この白い女たちの一族も翼手に縛られていることには変わりない。
 同情しているのだろうか、とジョエルは考えた。それからそれを否定する。自分は彼女に対して親近感を持ちたいと思っている。それは不思議な兆候だった。だがそれを言葉にすることはできずに、ジョエルは言った。
「ご存知のようにサヤは休眠期に入っています。会えるのはハジだけですが、よろしいですね」
「はい。良く承知しております。それにやはりサヤにも後程お会いしましょう」
「それは私よりもあなたの一族の方に訊いた方が早い。いつもあの方が世話をしておいでだ」
 女は目を眇めてジョエルを見つめた。その観察されるような藍色の視線が何故だか居心地が悪く、ジョエルは女の視線から目をそらせた。
「今日の午後・・・・。いえ、夕方にしましょう。彼にお会いいただくのは。それでよろしいですか?」
「はい」
 女は従順に目を伏せて答えた。翼手であるサヤとハジ。それに対する女たちの一族と自分たち『赤い盾』。翼手である彼らに対して自分が抱き続けてきた複雑な真情は、女には決してわからないだろうとジョエルは思った。それからそれらを理解して欲しいと望んでいた自分に愕然とする。いつの間にか、彼女たちの一族と自分たちの一族と同一視していたのだ。それほどゴルトシュミットの当主であるという事は孤独と重い責任とを負わなくてはならないのだ。今、ジョエルは痛いほどそれを感じていた。




 言葉をたがえることなく、ジョエルはその日中に女たちの長にハジを引き合わせた。背の高い黒髪のシュヴァリエがジョエルの部屋に入ってくると、白い女たちの長は被っていた頭布を取り去り、右足を一歩踏み出して跪き、手を額に当てて礼の姿勢をとってジョエルを驚かせた。その変わった礼の現し方は、もう一人の女が一族の長に取った礼の形とそっくりだったからである。
「『種族の御方』」
 女の言い回しはひどく古典的だった。自分に対するへりくだったような対応と独特の呼び方に、青年の姿をした者が戸惑いの色を浮かべている。その気配を感じるや長は姿勢を元に戻し、一歩離れて失礼に当たらないくらいの間、しげしげと彼を見つめた。その濃い藍色の視線が青年の瞳を見つめてから下に落ち、少しばかり長くその右手に留まったかと思うと次にはもう一方の上腕部に移り、もう一度目を上げてからふと微笑んだ。
「お目にかかれて光栄です」
「あなたは・・・・」
 青年は訝しそうに女を見つめ、問いかけるような視線をジョエルに対して投げかけた。
「あの白い方々の長に当たる方だ。君も知ってのとおり、彼女たちの本拠地はディーヴァのシュヴァリエが率いていたドイツ軍に壊滅させられ、こちらに身を寄せることになったのだよ。
 こちらがハジ。サヤ唯一のシュヴァリエです」
「ハジ」と言って女は微笑んだ。
「私はあなた方の助けになるために、こちらに参りました。私の成すべき事を成しに――」
「今、サヤは眠りに就いています。そしてせっかくですが、私自身にはなんの助けもいりません」
 青年の言葉は丁寧だが、そっけないものだった。
「それでは私に許可をいただけますか?」
「私に、あなたに対して何の許可が出せるのでしょうか」
 答える声は低く穏やかであるにもかかわらず、物事の皮肉を含んでいた。『赤い盾』に身を寄せることは彼らにとって、不自由の無い生活と食糧の供給を約束してはくれていたが、一方で自分たちが人間ではないことをより実感させるものでもあった。人間が自分たち以外の存在について、根本的に持つ恐れ。人間の外見を持ちながら、人間ではなく人間の生き血を必要とする彼ら翼手。にもかかわらず、彼らは人間に寄り添う存在でもあった。人間にとって魅惑と嫌悪に満ちた矛盾した存在。それが彼らだった。
 それがついに表に現れたのが、この度のサヤの目覚めだった。人格の刷り込み。翼手の女王の制御の実験。いや、ジョエルにとって実験と意識した訳ではないだろう。あくまで情勢を鑑みての手段の一つにすぎないと思い込んでいたのだろう。白い一族の女の一人がジョエルを責めて離反するまでは。それを知っているのか、白い一族の女長は濃い藍色の瞳を伏せるようにした。
「サヤに。あなたの女王にお会いする許可を」
 女の声には静けさが含まれていた。
「なぜ、私に?」
 青年はそのとき初めて女をまっすぐに見つめた。誰もこんな風に青年に対して少女への許可を求めた者はなく、おもねるわけでもへりくだるわけでもなく、青年を見つめた者もいなかった。再び濃い藍色の瞳がこちらを見つめていたが、その瞳の色になぜか翼手である青年がぞっとした。女の目は死の淵をのぞいている者たちの目の色とそっくりだったからである。だが次の瞬間、女の群青色の目が微笑んだ。
「あなたは女王の第一騎士ですから」
「・・・・」
 青年は無言のままだった。ディーヴァとの邂逅を経て、彼女を倒せないまま、彼の女王は眠りに就いている。男性の自意識を持って覚醒した少女は、元通り女性としての意識と記憶を取り戻し、その苦悩の中で眠りに就いた。そのことは以前よりも一層深く、青年に少女の存在そのものの悲しみと苦しさを感じさせる出来事となっていた。シュヴァリエとは女王に寄り添う存在だからである。
 重苦しい沈黙が流れ、そのまま黒衣の青年は言葉少なに部屋を去っていった。



 こうして最初の邂逅はひどくそっけないものとして終わった。
「あれがハジですか。似ていますね、ジョエル。あなたと」
「私が? 彼と?」
 思ってもいなかった女の言葉に、『赤い盾』の長官は不快感を示した。それは当然だったろう。自分が翼手と似ているところがあるなどと、彼は考えたこともなかった。
「ふたりとも、寂しい目をしてます。置いていかれたものの寂しさ。定めを負わされた者の厳しさ。同じディーヴァを狩ることからくる共鳴もあるでしょう。 もちろんディーヴァの一族に対抗するためには、お互いが必要だからということもある。彼にとっては変化を怖れていると言う事も。けれどもそれは寂しさを生む。だから彼はあなた方がサヤにしたことを知りながら、なおもあなた方の下に留まり続けているのでしょう。
――けれども彼はそうやって寂しさに留まり続けることを許されない。なぜならば彼は女王の騎士。女王の眠りの寂しさに、人間ではなくなってしまったことの寂しさに耐えることを義務づけられておりますから」
「彼は翼手だ」
「そのとおり。けれどもジョエル。忘れてはなりません。彼らがここに留まっているのは義務からではなく、自分たちの意思でここに留まっていることを。サヤとハジがあなたの元に留まり続けていることを幸運と思わなければ。そして幸運の女神は多くの努力なくしては留まり続けてはくれない」
「失礼だがあなたのおっしゃっていることはわからない。我々にさらなる犠牲を求めると言うのですか?」
 二人の間にひやりとした空気が生まれる。
「そういうことを言っているのではありません」女は目の隅でやんわりと微笑んだ。
「すべては定め。選択が定めの輪を回す。そして昔から私たちの役割はそれを正確に示唆すること。私たちの言葉を受け取り、行動するのは他の方々のお役目です」
 女の声はやさしかったが、その言葉はまるで地の底から響いてきたような予感をジョエルにもたらした。









END



2010/07/09

 長い間放置状態でしたが、始めたからには終わらせねば!ということで。頭の中では最後まで出来上がっていても、そこに行き着くまでが長い!そして。上手く表現できない自分にorz。。ああ。ますますワケノワカラナイ話になりそうな。。。
  でも今回、翼手であるハジを独特な呼び方で呼んだことで、いくつかある書かねばならないポイントの一つはクリアしました。ま、あくまで私の独自の妄想ということで、一つお願いいたします。。。