ジョエルがその部屋を訪れた時、白い女たちの長は長旅の疲れかひどく大儀そうに椅子に腰掛けていたが、ジョエルの訪れを聞いて素早く立ち上がった。初対面のジョエルの前で取り払いはしたものの、女は元通りに白い薄紗の被り物をつけ、白い手袋をはめ、全身を白い布で包んでおり、その身体の一部も外気に曝そうとしない様子に異様な雰囲気を感じてジョエルは戸惑った。だが白い長はジョエルのその戸惑いを感じ取ったのか再び被り物を取り除き、その若々しい顔をあらわにした。
「何か足りないモノはありますか?」
 我ながら何とつまらない質問だと思いながら、定石どおりの言葉を口にする。
「お気遣い恐れ入ります。今の所すべて事足りております。何か私にお伺いになりたいことがおありでしょうか?」
 ジョエルの質問をやんわりと受け、促す様子はとても年下の女性には思えない。
「急いではおりません。まず旅の疲れを癒していただくことが先です」
「いいえ。時間がもったいない。私は予知と助言のためにここに参りました。私の務めを果たさせてください」
 何かを急いているような、追いかけられているようなそんな雰囲気がわずかに見え隠れしている。何を焦っているのだろうか、とジョエルは疑問に思った。
「では。ディーヴァの今の居所を確かめておきたい。ディーヴァが休眠期に入ったのは確実なのですね」
「それは確実です。ドイツ軍が敗れ、サヤが眠りについたと同時期に彼女も休眠期に入りました。しばらくは翼手の徘徊がドイツ・ポーランドを中心に発生することでしょうが。ディーヴァのシュヴァリエは彼女と共にドイツを経てポーランドを、その後ひそかに東欧を巡り、のちに東を目指すことになるでしょう」
「東・・・・。ソビエト連邦でしょうか」
 今のあの土地はロシア時代と異なってしまった。ソビエトの中枢と結びつかれると、中々情報が入りにくくなってしまう。ジョエルの懸念はそこだった。
「ソビエト連邦、アジア。ディーヴァの眠りは徘徊します。そして次にディーヴァの痕跡が出現した時。ジョエル。気をつけなくてはなりませんよ」
「どういうことでしょうか?」
「今ははっきりと申し上げることができません。しかし、私たち一族がナチスの仮布を被ったディーヴァの騎士に襲われたのは故ない事ではないのです。ディーヴァの次の目覚めにはその結果が大きな意味を持つようになるでしょう。
 そのためにこそ私はジョエル、あなたの元にやってまいりました」
「あなたたちの一族は、時折意味がわからぬ事をおっしゃる。予知をする者は皆そうなのですか? 」
「申し上げる事で未来を回避できる事もあり、また逆に未来を確定する事もある。私たちはできるだけそれを避けようとしているだけなのです。ただ、今度の事は・・・・。私の中に予知の兆しはあっても、それがはっきりしていません。私が今できることは警告を発する事だけ。ジョエル。私たち一族の警告の持つ意味をあなたの一族は良くご存知のはずでしょう?」
 かつて。初代ジョエルは最初に派遣された白い女たちの警告を無視して、翼手という種族の次世代をこの世に生み出し、さらに彼らを尊重すべきだと言う再度の警告をないがしろにしたため、その片方が人間とは相容れない存在になってしまった。人間よりもはるかに生命活動に優れ、人間と同様の知性を宿した生命体。それが人間に敵対した時、どんな結果を産むか。ジョエルほど良く知っている者はいなかった。
「次回のディーヴァの目覚め。それが彼らにとっても、小夜にとっても、そしてジョエルあなたや『赤い盾』にとっても、大きな転機になる事でしょう」
 女が濃い藍色の目を伏せると、不意に年齢不詳の印象が薄れ、外見にふさわしく若々しい雰囲気になる。その白い顔を不思議そうな目でジョエルは見つめていた。




 この家に客分として白い一族を呼んだときから、歴代のジョエルは時折彼女たちと食事をすることが度々あった。鄙びた土地の小さな一族だというのに女たちの仕草は古風だったが見苦しくはなく、かつて彼女たちが『選帝侯の占い師』と呼ばれていた時期があったことを髣髴とさせていた。
 こうして共に食卓を共にするうちに、ジョエルはかつてこの邸に居た別の白い女に対すると同様に、自分が彼女たちに打ち解けていくのを感じていた。女の方は相変わらず線が細く、透き通るような顔色の中で目だけが思慮深く自分より明らかに年上であるジョエルを見つめている。女はこの世界を巻き込んだ大きな戦争の中で、ジョエルの立ち居地とその利権の保護と行使にどれだけ彼が神経を使っているかをよく理解しており、適切な時に適切な情報と忠告を彼に与えた。ずっと山奥の里にこもっていたというのに、彼女はジョエルが思っている以上に恐ろしく情報通であり、またその判断力によってジョエルは自分が後援者になっている人物への絶妙な支援の仕方というものを受け取っていった。
 その時期は一歩間違えればすべてを失ってしまうと言っても過言ではないほど、日々様々な情勢の変化の時期だった。個人と領地、思想と慣習。その細い間を綱渡りのように泳ぎ、世間一般からも目立たぬように対処するには女の精緻な予知の能力と情報収集力がなくては難しい事だったかもしれない。 それによってゴルトシュミットは重要な財産を守り通し、また『赤い盾』の活動も滞ることなく続けられた。
 女の能力に感嘆し、あるときジョエルはつぶやいた。
「あなた方一族はなぜ私たちに力を貸すのだろうか? あなた方は私たちと接触する前はこのように翼手との闘いに身を置くのではなく、政治の中枢に深く関わっていたと聞いているのだが・・・・」
 まるで独り言のようにその質問は両者の間に落ちた。
「ゴルトシュミットに私たちの一族がはじめて訪れたときのことを聞いたことはありませんか?」
 女は質問に質問を返してきたが、ジョエルの顔を見ると小さく笑って答えた。
「最初にあの種族の女王のミイラが最初のジョエル・ゴルトシュミットの手に渡ったとき、私たち一族の長はすぐに一族のうち一番力の強い者を派遣して、彼に警告を発しました。彼らをそっとして置くように、と。それから後はあなたもご存知の通りです。あなた方が『ジョエルの日記』と呼んでいるものに書かれている通りに」
「ではなぜディーヴァで無くて私たちの元へ? あなた方ならば、あえて私たちと関わらなくてもいかようにも世間を渡っていけたはずではないですか。まさか、私の誰にも知られていない他の何者かに何かを言われてきたのですか?」
「私たちが何かの命令であなたたちを間接的に動かしていると? いいえ。ジョエル。あなたの心配はわかります。でも私たち一族は人間同士の争いからは常に距離を置くようにしているのです。過去も、そして現在も。誰かが私たちに政治的な含みを持たせて行動させることは決してない。私たちはただ、あの二人。サヤとその騎士のために、そしてディーヴァのためにここにいるのです。
 誰からも示唆されなかったとは言いません。私たちもまた独自の原理に基づいて行動していますから。けれども私たちの一族がディーヴァでなく、あなた方の元に留まっているのは、ディーヴァの一族がこの世に及ぼす干渉があまりに大きな影響をもたらすことを予感したから。そしてそれを阻止できるのが、サヤとあなた方『赤い盾』であると結論づけられたからです」
 だがジョエルは首を振った。
「今までずっと不思議に思ってきたのですが。あなたたちは一体何者なのです? どうして翼手のことにそんなに詳しい? どうして彼らを恐れず、彼らと接することができるのですか?」
「私の一族も彼らに怖れを抱いていました。もちろん、その怖さはあなた方の感じるものとは少し違っているのかもしれませんが、それでも確かに私たちは彼らに対して怖れを抱いているのです」
「それなのにどうしてそんな風に彼らに触れていられる?」
「触れて? 私は彼らに触れていません。ただ私の一族はそういう意味で彼らを恐れることはないのです。彼らの血を、彼らの能力を恐れることがないと言いますか・・・・」
「それはどういう意味なのでしょうか。大体あなた方と翼手はどのような関係を持っているのですか? 私は何人かあなた方の一族の女性を見てきた。あなた方は不思議だ。あの、人間ではないモノを、まるで保護者のような目で見ていることがある」
「保護者だなんて。違います。私は単なる傍観者。彼らが辿る道を見守るだけの存在です。それに・・・・私たち一族の物語は終わってしまいましたから。多分だから余計に客観的に接しているように見えるのかもしれませんね」
「それでは答えになっていない」
「ジョエル。一族が滅んだからこそ、私は今ここにいられるのですよ。
 一族の長は古里を離れてはならないというきまりがあります。長は一族のために在る者。一族の総意を体現した存在でした。しかし、一族が滅んだ今、私が一族の最後の者。だからこそ土地に縛られることもなく、私はここへ来ることができました。もう二度と私はふるさとに帰ることもない。ふるさとから遠く離れて生を終わる長は私が最初で最後でしょう。
 でも終わりになる前に。私がここにやってきたのは、これからのことを告げるため。最後の予知を行うためなのです」
「最後の?」
「今はまだそのときではありませんが、お約束いたしましょう。きっと必ずそれはなされると」
 このとき聞いた『最後の予知』という言葉はジョエルを捉えて離さなかった。女は世の情勢を読みながら、淡々と日々を過ごしてているようだった。時折ジョエルの書斎から本を借り出しては読み、またジョエル本人と話をすることも度々あった。しかし不思議なことに、翼手のことが心配という割には、彼女はサヤにもハジにも、逢わせて欲しいと自分から言うことはなかった。
 あるときジョエルは前触れもなく女の部屋を訪れた。暖炉には薪がくべられ、一族の長だった女が大きめの本を開いて読みふけっている傍らで、もう一人の白い女が火の世話をしていた。明かりに女たちの白い顔が照らし出されている。長であった女はいつもの頭布をかぶり、本の脇にはいつもは嵌められている白い手袋がきちんと揃えておいてあった。ジョエルが部屋に入ると女はすぐさま顔を挙げ、かぶっていた布を取ろうとしたが、ジョエルは手を振ってそれをとめさせた。
「どうぞそのままに。『ジョエルの日記』ですか?」
「はい」
 それには歴代のジョエルが綴った人間と翼手の歴史、『赤い盾』の活動の記録が記されているのであった。
「すべてご存知でしょうに、今更何を知りたいとおっしゃるのやら」
「こうして実際に手に取ることに意義があるのです」女は再び手袋を身につけながら言った。
「最初のジョエルが何を考えていらっしゃったのか、今『赤い盾』の長官は何を考えておいでなのか、こうして触れていれば良くわかりますから」
 そう言って女はいたずらっぽく当の本人を見つめた。
「何がお分かりになりましたか?」
「始まりが何か、そして終わることがどういうことか――」
「終わり? 私はこの長い戦いが永遠に続くのではないか、と思う時があります。私が受け継いできたように、また私の子供たちもそれを引き継いで、永遠に繰り返される翼手との闘い。私たちの一族はそこに捉われてしまったのではないか、と」
「ジョエル。永遠に続くものなどこの世にはありません」
「それはこの戦いも終わるという事でしょうか」
「いつかは」
「それはいつなのですか? あなたにならばわかるのではないか」
「私たちの一族は既に私を除いておりません。自分が終わった後に遺せる予知は本の少しだけ。残念ながら私の一族が滅んだ後も、サヤの闘いは終わるわけではないのです。私は途中までしか居て差し上げられない・・・・。ですから、ジョエル。私はその前に是非とも会っておきたいのです」
「彼らにですか」
「そう。彼らにです」
「あなた方の能力は翼手に影響され、歪んでしまうと聞きましたが――」
「聞いていらっしゃいませんか? 能力が大きい者で、それなりの鍛錬を積んだ者は翼手の影響をほとんど排除できます。うっかり接触しない限りは私の予知がゆがむことはありえません。ジョエル、その点においては安心していただいてよろしいでしょう」
 ジョエルが中々彼女を翼手たちに会わせなかったのは、自分の能力を惜しんでいるのだと白い女にはわかっていた。この一族は翼手の存在に影響を受ける。今、女の能力が歪んでしまってはこの激動を乗り越えられないかもしれないとジョエルは考えているのだった。
「大丈夫です。ジョエル」
 と、当の女は言う。
「そのための長。そのための私。私は彼らの影響を受けません。私の最後の運命は彼らなのですから」
 女の言葉が不思議だとは、そのときジョエルは思わなかった。








END



2010/03/03

 長い間放置状態でしたが、せっかく始めてしまったお話ですので、最後まで書いてあげようと思って少しずつ進めてみます。色々考えながら、迷いながらの再稼動。
 しかし、まだサヤはおろか、ハジにも逢っていない段階です。どこにも恋愛感情なしの話を書こうとしているので、読み方によってはこれって何? という話ですし、はっきり言って全然萌え度のない自己満足の話です。
 (こんなの創ってしまってすみません。。。)