新しい予知の一族の一人がやってくる事を、ジョエルは一人だけ彼の元に留まっていた白い女から聞かされた。白い女たちの慣わしでは、一族は常に複数で行動する。緑の目をした女がジョエルの元にいたうちから、彼女の能力を支えるために一族が遣わしたのがこの年齢不詳の寡黙な女だった。緑の目の女と異なり、予知の能力を持たないというこの女は、緑の瞳の女が予知を行なっている間、ただ黙って彼女の傍らに立ち続け、そうすることによって彼女の能力の補佐を行なっているのだということだった。
予知以外の時間には、サヤとハジの身の回りの世話をすることも彼女たちの仕事だった。翼手である彼らが翼手の殲滅機関である赤い盾にいるという矛盾は彼らの内側に齟齬を生じかねない。その彼らと『赤い盾』との間に立って、矛盾なく両者を介在させる役割を、この白い女たちが担っていたのだと気がついたのは大分立ってからだった。 翼手であるサヤとその唯一の眷族であるハジ。だがサヤもハジも、肉体的な優位性を除けば元来は非常に人間に近く、「日曜日の惨劇」から長い時間が経っているにもかかわらず、時折人間ではない自分たちに戸惑っている様子さえ見せていた。双子であるディーヴァの一族の在り方とはあまりに異なっている。だからこそ、彼らは赤い盾の元に留まり続けているのだろう。それは彼らが『動物園』のジョエルの血筋ということも関係しているのかもしれなかった。
自らを「ディーヴァに対する武器」と言い切って憚らないサヤを時折人間のように可哀相に思うこともあった。感情に揺らぐ瞳は明らかに人間性を宿しており、まるで魂がその怒りと哀しみに満ちた瞳の奥底にあるかのようにも感じられる。魅力的な小さな魂が。だが彼らは翼手であり、ジョエルの名と、その一族が背負っている因果は彼らゆえにあるとも言える。そして彼らをこの世に産まれ落としたのは、4代前のジョエルの名を持つ者だった。この名の持つあらゆる結果を負うべくこの血脈は引き継がれた。だからこそ自分の感情の揺らぎから身を起こして最大限彼らを有用に使用しなければならない、そう思い込んでいたジョエルは、白い女たちの感情を視野に入れることを怠っていたのだということも後から気がついた。ジョエルがサヤに行なったことに対して、最も怒りをあらわにしたのは、その眷族であるハジではなく、この白い、緑の瞳をした女だった。
翼手に対する得がたい知識を有しているこの女たちが、彼らについてある種保護者の様に振舞っていることには気がついていた。翼手の知識と彼女たちの予知を与える代わりにサヤとハジ。この人間側に留まっている二人の尊厳を守り、『赤い盾』内で居場所を提供すること。それが彼女たちが出した条件だったのである。
――それまでそれがどういうことを意味しているのか、ジョエルは意識したことがなかった。サヤとハジについてもジョエルはあえて意識しないようにしていた。一族と『赤い盾』のメンバーの因縁をその身に受けている彼ら。人間で無い彼ら。彼らの存在なくして『赤い盾』はありえない。だがあえて意識しないと言うことは、逆説的であったのだ。ジョエルは彼らを意識しすぎていた。彼自身の生い立ちを含めてすべてに関して。その反動のように、彼はサヤを「武器」としてことされ意識するようになっていった。そしてまた一方で、ジョエルは彼らが『赤い盾』に存在すると言うことそのものに対してもあまりに当たり前になりすぎていた。それはジョエルにとってだけではなく、サヤとハジにとってもそうであったのだろう。だから「それ」が行なわれた。サヤの安全を図ると言う名目で。目覚めたばかりでまだ柔らかいサヤの意識を、操作してみようと試みたのだった。
ジョエルがサヤを使って人格を操作する実験を行なおうと思ったのも、彼らが安易にその恣意に身を委ねたのも、そのある種気安さがお互いの甘えと信頼の均衡を踏み越えた結果だったと言えよう。その事実に最も驚愕し、最もジョエルを責めたのが緑の瞳の女であったということは、同時にサヤとハジのジョエルへの非難を封じることにもなった。なぜならば、怒りと絶望の中で女はジョエルの元を出奔したからである。これによってジョエルは予知と情報収集の手段の片翼を失ったことになった。その不利を補い合うために、ディーヴァに対抗するという一点で、これまでにないほどサヤと『赤い盾』の連携は密接になった。サヤのディーヴァへの追撃はもう少しでディーヴァに肉迫ほどにもなった。だがこの運命の双子は、決して対面することはない定めであるかのようだった。擬態した女の仮面を脱ぎ捨てた後、ディーヴァがその第一騎士であるアンシェルと共にどこに行ったのか、サヤはついに突き止めることができず、彼女は再び永い眠りに落ちていった。無念と後悔、そして深い悲しみと共に。
その眠りと、遺された彼女のシュヴァリエの姿を見たとき、ジョエルは初めて彼らが背負っているものの一端を理解したような気がしてはっとなった。翼手であることは人間と近しいからこそ、その与えられた能力や生命力と相反するように寂しいものなのかもしれない。近しいものの命を吸取らなくては生命を保持できない種族は、強靭な肉体と相反するように脆さを併せ持っているのではないか。だからこそ、あのような催眠実験に簡単に落ち込んでしまう。4代目は深い物思いに囚われた。しかしながら、時代の流れの苛烈さは彼に休むことを許さなかった。
緑の瞳の女と共にいたもう一人の白い女は、予知の力こそ持たないものの、緑の目の女がジョエルの元を出奔した後も彼の元に留まり続け、サヤやハジの身の回りの世話をしながら白い女の一族からの伝言をジョエルに届け続けていた。1943年8月にパリ解放されて以来、ジョエルは軍部およびレジスタンス勢力への援助から徐々に撤退し、援助を行なっていた一方の雄が突出していくのを黙って許している。波乱時代の雄は両刃の剣というのが白い女たちの言葉だった。その騒乱が一旦収まってしまうと今度は無用の長物、あるいは悪くすると返す刀になりかねない。
 だがそれらの情報も、以前緑の目の女がやっていたような精緻な即戦な予知とは比較にならないほどおおまかで捕らえにくく、ジョエルはまるで手足を捥がれたような動きづらさを感じずにはいられなかった。大戦の最中よりも、この混乱の時期に最も自分が必要としているのがあの女たちの予知である事を痛感する。だが一方でサヤに行なったこととその結果について認識していたジョエルは、彼ら一族からの言葉を違えた自分に対して、未来への示唆という援助が続いていることが不思議だった。――それもこの一年、滞りがちになっているが。
だから今回、彼らがさらに精緻な予知を行なうために新たに人材をこちらに送るという情報を、ジョエルはいささかの驚きをもって受け止めた。
「この私に再び力を貸すと?」
 既にディーヴァとの闘いは一旦の終わりを告げ、サヤは眠りに就いたばかりだった。緑の目をした女がジョエルの元から出奔して、三年が経っているのである。なぜ今更というのが正直なジョエルの思いでもある。
「『あのお方』一族のお一人は、ディーヴァの下に去りました。そしてその変化は私たち一族の運命を大きく変えました。だからこそ、今この時を選んで、あなたに予知を与えなければならないというのが私たちの長のお言葉です」
 緑の目の女がアンシェル・ゴールドスミスの元に下ったという話も、彼女からジョエルにもたらされた情報の一つだった。これでサヤとハジがゴルトシュミットの下にいることがこれではっきりわかってしまったこととなる。同時にジョエル・ゴルトシュミットが『赤い盾』の長官であり、ディーヴァ一党の抵抗勢力であることもわかっただろう。
恐らくそうではないかと疑っていることと、しっかりと確認されてしまったこととは違うのだ。
「だから再び私に力を貸すと? 三年の間放っておいたとしては気前がいいことですね」
 ジョエルの皮肉に白い女は目を上げた。その目がほとんど白に近い灰色である事にその時初めてジョエルは気がついた。光の加減でともすれば虹彩が無いように見える。それは女を非人間的に見せていた。
 だが次に女はほとんど表情を変えもせず、思いもかけないことをジョエルに告げた。
「ジョエル。あなたには申し上げていないことがございます。――私たちの里はとうに滅んでいるのです」
 女は天気のことでも告げるように、なんの感情も言葉に乗せなかった。
「滅んでいる?」聞き返したジョエルは一瞬何のことを言われたのか分からなかった。
「どういうことです?それになぜ今頃! なぜ隠されていたのですか」
 無表情な女よりも自分の方が衝撃に感情的になっていることが感じられ、ジョエルは自分の未熟さに動揺した。
「長のご指示でした」
「道理で・・・・。この一年、情報が滞っていたわけだ」
「申し訳ございません、ジョエル」
 さして申し訳もないような口ぶりで淡々と女は言った。
「で。仔細をお伺いしましょうか」
 自分の優位を取り戻そうとしながら、ジョエルはゆったりと深く椅子に腰かけ直した。
「三年前、『あの方』はこちらを出奔されて、それ以来アンシェル・ゴールドスミスの元に暮らしていました。私たちの持つ知識を彼らに分け与えながら。翼手とは何者なのか、その能力はどういうものがあるのか。彼ら自身が今まで知りもしなかった知識を、今、アンシェル・ゴールドスミスはその手にしております。私たちの棲家の位置すらも。ジョエル。敵の勢力に私たちのような者が赴いていると知った場合、彼らは必ず私たちを自分たちに取り入れるか、滅ぼすか。どちらかの道を選びます。
一年前の事でした。突然の襲撃に私たちの故郷は滅びました。『あの方』がアンシェル・ゴールドスミスの下に行かれてから二年。私たちの里が無事だったことの方が奇跡なのです」
「二年も。なぜそれまで無事であったのだろう」
「滅ぼすまでもなかったからでしょう。私たちの一族は本来生命力が強くはありません。能力としても、一族そのものとしても、以前からずっと衰退の一途を辿っておりました。昨今では里の外に出て予知ができる人間は、もはや『あの方』以外にはいらっしゃらなかったのです。
アンシェル・ゴールドスミスは『あの方』からそのことをもお伺いになったのでしょう」
「では逆になぜ三年後に?なぜそのタイミングで滅ぼさなくてはならなかったのか?」
 白い女は予知の力を持たないはずだった。だが緑の目の女よりさらに非人間的に表情を変えないまま、彼女はしばらく考え込んでいるようだったが、やがて口を開いた。
「ディーヴァが眠りに就いたことと、それから『あの方』がおそらく予知の能力を失ったのでしょう。私たちの一族は一人ではぐれ出ると、どんなに優れた予知の能力を持つものでもその力を失います。ようやく『あの方』は予知の力を持たないただの人間になったのです。
もはや予知を操作することもされることも、アンシェル・ゴールドスミスにとっては意味を失ったのでしょう。そしてそんな時に、もしかするとまだ予知者を排出する可能性のある存在を滅ぼそうとするのは当然です」
 あるいは彼女以外のそういった能力を持つものの確保をはかったのか。いくらあの緑の目の女以上には予知の能力を持つ者がいないとわかったとしても、彼女たちの故郷というのは魅力的だったろう。それにしても。とジョエルは思った。その位置を知っていながら二年も待ったとは、アンシェル・ゴールドスミスも気の長いことだ。いや、翼手だからこそそのように長い時間、時期を待っていられたのか。それとも人間の営みなどどうでもいいと言うことなのか。
「それでどうなったのですか」
「ディーヴァは総統の親衛隊と繋がっています。親衛隊中心に結成されている対パルチザンの軍に私たちの里は襲撃を受けました」
「それで・・・・。生き残ったのは」
「私たちは軍隊を持ちません。その時里に残っていた者は全員殺されました」
 驚くほど淡々とした言葉だった。
「あなた方は予め未来を知る力を持っているはずではないのか」
「起こるべくして起こることを避ける力は持っていません。それに私たちのように里を離れる者は珍しく、多くの一族は里を離れては生きていけません。多くの者が滅びをわかっていながら里に残り、運命を共にしました」
 白い女は言い訳も、責める言葉も、ジョエルには言わなかった。
「だが。ではこの度ここに来るというのは一体誰なんだ」
「唯一の生き残りである者。今では唯一予言の能力を保っている者。――私たちの長です」
「長・・・・」
「あの方以外にサヤの近くに居つづけながら予知のできる者は他にはおりません」
 彼女たちの予知の能力は翼手の近くにいると狂ってくるという。緑の目の女は能力が狂わないように幼い時からサヤの近くにいて、その影響に慣れさせられたのである。だが今度の長はその必要がないという。
 だが一族の長となった者は生涯、一族の里に留まらなくてはならないとどこかで聞いたことがある。故郷を失ってやむなくこのゴルトシュミットを頼ろうというのか。それもなんだかしっくりこないようにジョエルには思えた。この三年の空白は大きい。今更なぜ。何を告げにやってくるのか。
「ジョエル」女の声で我に返った。
「私たちの長の滞在を受け入れますか?」
 それは多分に強制的であり、他の選択を許されない選択だった。
「受けるしかなかろう」
 ジョエルは自嘲とも揶揄ともつかない微笑を浮かべてそう言った。




 その馬車は古めかしく簡素だが、造りのしっかりとしたものだった。
 一族の長と聞いてどのような人物か興味を掻き立てられたジョエルは、どんないかめしい人物が乗っているのかと想像しながら好奇心に駆られてわざわざ車寄せまで出てみた。一族を襲った悲劇の中のたった一人の生残者。そう考えるとなにやら気の毒な気もしないではない。
 真っ黒に塗られた馬車はそこだけ闇を切り取ったように黒々と辺りに異彩を放っていた。大して操作されずに馬たちが玄関前に止まると、これまた黒い装束の御者が飛び降りて馬車の扉を開け、中から真っ白な手袋をはめた華奢な手が現れた。助けられながら馬車から降りたその人物は、それまでの一族と同じように尼僧のような簡素で真っ白い衣服。そして薄紗の布を一枚は顎の下まで、もう一枚は目の上まで被り、それを細い銀色の輪で押さえている。
 外気に曝されないように上から下まで白一色のその衣服に一瞬奇異な感じを抱いたが、ジョエルはにこやかにその人物に歩み寄った。
「ようこそ、ゴルトシュミットへ。お待ちしておりました」
 すると彼女はうなずいた。
「ジョエル・ゴルトシュミット」 そのやわらかい声は澄んでいて心地よかった。
「お目にかかれて幸いです」
 そう言うと彼女は持ち上げるようにして頭環と共に被布をはずした。最初はほっそりした顎が現れた。そして白い頬。それから思っていたよりもずっと若い顔が現れた。一族特有の銀色の髪は複雑に編み込まれて一本にされている。
 だがこんなに線の細い人物をジョエルは見たことがなかった。まるで現実感の無い、今にも透けて消えてしまいそうなあやふやな存在感。日の光を浴びてこなかったように白い顔の中で濃い藍色の目だけが印象的だった。しかしながら全体の線の細さを補うように、その群青色の瞳はやわらかな意思と、そして年齢にそぐわない落ち着きと思慮深さを備えた深い色をしていた。
「ジョエル」と女は言った。
「しばらく厄介になります」
「こちらこそ、あなたのお力をお借りすることを光栄と思いますよ」
 ジョエルのその言葉に彼女は目の端で微笑んだ。ひっそりとしたやさしげな微笑だった。促されて邸の中へと進むと、その途中に同族の白い女が佇んでいる。
「我が長よ」女は長の前で膝を折った。その左手を両手で押し頂くように自分の額に押し付ける。
「お待ちしておりました」
「ご苦労でした」
 女たちは彼女たちだけがわかるやり方で目と目を合わせ、わずかに微笑んだ。こうして最後の一族の予知は、この白い女たちの長と共にやってきたのだった。








END



2009/06/14
2011/04/12改訂

 『群青』の章、始まり。今回は3~4話+番外編(前日譚)の予定。私が楽しむための物語。オリキャラとジョエルと、そして今回はハジの会話から成り立っているお話。かなりオリジナルにやりたい放題(というか、言いたい放題)しますので、オリジナルと思って読んでいただければ幸いです。
 本来、設定ネタバレ話がこの話の前日譚としてあるのですが。そちらはまったくのSFとして作成しました。。。が、まだ頭の中にあるだけで書き出していない。


 前回『翡翠』では、ジョエルとハジの両方を否定する存在を描こうと思ってお話を作ったのですが(ちょっと否定の仕方が温くなってしまった事は反省)、否定したならば今度は肯定する、とコンセプトで作成したのが今回の『群青』です。肯定の仕方も変ですが。今回はオリキャラには独白やら心理描写をほとんど主体的にはさせません。その分ハジを書きたいと思いました。(ジョエルは書き易いので、難しいハジを!というのが今回の目標です)上手くできるかどうかはちょっとわかりませんが。オリキャラの話、しかしハジの描写、というごちゃ混ぜをどのように描けるか・・・・。まだ良くわかっていないのが実情です。しかし、きっとそんなに長い連載にはなりません~~~。